オタクの元祖、大伴昌司の発見
昨年、ニューヨーク、マンハッタンの国際本部ビル付近に建つジャパンソサエティで開催された「リトルボーイ」展は大きな反響を呼んだ。ソサエティでの3ヵ月半の展示期間中に3万人以上の来館者が入場したそうだ。(この数は過去最の記録となる)プロデューサーは、あの国際的アーティスト村上隆。彼はこの展覧会を「リトルボーイ」と銘打ってアニメやマンガ、フィギュアの日本のサブカルチャー、前衛芸術などを広く紹介した。その中で、岡本太郎の太陽の搭とならんで話題を集めたのが大伴昌司による怪獣の空想解剖図だった。
今年の後半青森や世田谷の美術館で大伴昌司の作品が展覧される予定となっている。彼の作成したウルトラ怪獣図鑑がマニアの間で大きな話題になるなど、今彼の業績を見直す機運が急速に高まっている。
私が彼のことを知ったのは本当に偶然だった。昭和62年秋、シナリオ雑誌をパラパラとめくっていると、第1回大伴シナリオ賞募集という記事があった。大伴って誰のことだろう。気になって事務局のシナリオ作家協会に問い合わせた。
それは若い頃シナリオを書いていて夢が果たせないまま亡くなった編集者、大伴昌司を記念する賞であるということだった。それ以上の詳しいことは事務局でも知らないという。
しかたがないので遺族の連絡先だけ教えてもらった。
そうして訪ねたのが、大伴の母四至本アイさんだ。当時77歳である。先年急死した息子豊治を記念して作った財団の基金で、大伴昌司シナリオ賞ができたということを知る。
いったい、本名四至本豊治こと大伴昌司とはどういう人物か、私はその姿を追った。
――浮かび上がった実像は実に摩訶不思議な生き方をしていたのだ。
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