人の世を生きる
簡単なようで難しいのが人生を生きることだ。高邁な人類の行方を考えていても、気が付けば日々のくらしであくせくする自分がある。そんなことは家来にまかせておけ、と大言したところで暮らしの垢や浮世の義理人情がべたべたとからみついてくる。
友人は、夫に癌が発見され、まだ独立まで間がある子どもをかかえて、どうすればいいか生き悩んでいる。若い友は春旅立ちの季節をむかえてもメドがたたず苦しんでいる。私はといえば、定年ショックから完全には立ちなおれず、行きつ戻りつしている。これは個人の人生の問題であって、世の中が悪いとか社会の責任とか言い募ることではない。
資料室へ行って本を返した。返却簿に記入するとき一段上の欄に、見覚えのある名があった。所属は考査室になっている。
彼とは32年前大阪の職場でいっしょだった。1歳上だが、入社は1年下。九州出身で服装にも無頓着で本を集めるのが趣味の学究の男だった。私は先輩風を吹かせて、あれこれ仕事の段取りを教えた。居酒屋で組合の話題になり、私はその官僚制を罵倒し、日米安保体制を批判した。彼はにやにやして聞いていた。時折、自分の意見を譲らない頑固なところを見せた。
その後、かれと私はまったく違う道を歩むことになり消息も途絶えた。30年ぶりに会社の廊下で見かけることがあった。少し太ってはいたが見覚えのある目だった。見つめると、その視線を外すようにして去って行く。人違いかなと思っていたが返却簿にその名をみつけて、あれはやはり彼だと確信する。考査室所属。複雑な思いが残る。
江国滋を読んでいたらこんな文章にであった。
《出版社には出版社の閑職というものがかならずあるはずで、定年まであと十年を残したいまの私は、まちがいなく窓際にすわっているにちがいない。(中略)
窓際にすわって、じっとたそがれを見つめている自分の姿を、もう一人の自分の目で冷静に見つめることは、すこしばかり勇気のいることだけれども、いったん見つめてしまえば、これも一生だ、という気がしてくる。》
人の世を生きてゆくのも、一つの人生。華やかであろうが貧しかろうが、とにかく与えられた人生を生き抜くというのも人生なのだ。ため息の一つや二つは道づれのようなものか。
夜来の雨が昼過ぎまでつづいている。寒さも先週ほどでなくなった。春は来る。きっと来るはず。
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