もうひといき、春まで

春の雲が出ていた。相模野に出ると、冬の間くっきり見えていた大山、丹沢が霞み始めている。暖かくなっている。
冬の雲は単独で角の立った厳しさがある。春の雲ってどんな雲かというと、雲が重なり合って厚みを増している。春になると雲は大きくなりやさしい。
今年の春ほど、カズオミとシスカが待ち焦がれたことはなかっただろう。闘病を終えてむかえる春はいかばかりだろう。八十を越えたふるさとの母もこの冬の雪の多さにずいぶん苦労しただろう。もう一息だ。それぞれの人生に春は来るのだ。
「年たけて また越ゆべしと 思ひきや 命なりけり 小夜の中山」(新古今和歌集987)
西行が齢69歳にして再び小夜中山を越したことを生きる喜びとして結実させた句である。喜びとともに、来年以降越えることができるだろうかという、一抹の厳しさものぞかせながら、今年こうして越えることができたのも、命があったればこそと、西行は感謝している。
西行はきさらぎの望月の頃に死にたいといって、その日に死んだことは有名だが、これもシンクロニシティの一つだろうか。
長崎の26聖人の彫刻で高名な舟越保武がいる。八十過ぎまで生きられ先年天に召された。その夫人の道子さんはたしか今年89歳になられるはずだ。俳人、詩人としても知られる。
その舟越道子さんが81歳のとき、亡き夫を偲んで作った句が、私の心をとらえて離さない。
春の雲 流れ行く日や 夫恋し
言わずもがなであるがあえて書こう。夫恋しはツマコイシと読む。この句が80歳の老婆(失礼)であることに、驚きを禁じえないのだ。
ところで、春は「芽がはる」から生まれた言葉だとか。英語のSPRINGも春とバネと両義ある。これって同じだろうか。
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