亡くなった同僚へ
本日、会社の机を整理していたら、引き出しから玉置君の印鑑が出てきた。
1992年、私は玉置君といっしょに東京から広島へ転勤した。私が制作統括で、彼は副部長だった。私と年が同じだが浪人していて1年遅れて入社していた。久しぶりのローカル局で慣れないことばかり、彼と力を合わせて仕事に励んだ。
玉置君のガタイはよかった。まるでラグビーの選手のような太い首、広い肩をしていた。いかついが、笑うと可愛い笑顔になった。
広島に赴任して半年、玉置君は不調を訴えた。少し東京へもどって養生したいと言った。お互い単身赴任だったので、その気持ちがよく分かった。彼は東京へ去った。2週間経っても彼は戻ってこなかった。
奥さんに問い合わせると、彼は癌に侵されておりあと半年の命だと知らされた。青天の霹靂だった。元気にもどって来ると思っていた玉置君が帰って来ない。その現実をなかなか受け入れられなかった。
私は彼に電話した。彼は「迷惑をかけて申し訳ない」の言葉を繰り返した。いいよ、気長に養生しなさいよと言って、私は電話を切った。
半月後、上京して彼を病院に見舞った。体が3分の1になっていた。あの逞しく大きな玉置君が縮んでいた。彼はもう「申し訳ない」も言えなかった。黙ったまま、私の顔をじっと見ていた。それから1月半後、彼は死んだ。
「副部長決済のとき必要かもしれませんから、この判を置いていきます」とシャチハタ印を手渡してくれた玉置君。はんこだけが私の手元に残った。その後、私は広島でしゃかりきに働き3年後東京へ帰った。そして病で倒れ回復し、10年勤めて昨年定年となった。元気だったら、彼と私は同じ年にいっしょに定年を迎えていたのだ。
彼は尾張一宮の由緒ある禅寺の次男として生まれた。亡くなったとき、彼はまだ44歳だった。何と言う若さか。
本日みつけたこのはんこを、明日彼の奥さんのところへ送ろうと思っている。
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今夜の新宿はおぼろな春の宵のようだった。