シンクロニシティ②

擬似科学のように考えてはいけないが、意味のある偶然の一致ということは人生にたしかにある。私自身でも1つ2つはある。こんなことがあった。
五年前、イタリアアッシジに行ったときのことだ。北イタリアに入り車でアッシジに向かって南下した。最初は何もなかったのだが、アッシジの聖域に近づくにつれ左の手のひらが鈍い痛みを持ち始めたのだ。そして、ラベルナの修道院に入ったときそれはピークに達した。我慢しがたい痛みだ。でも、しげしげと手を見ても傷など見当たらない。
このことを同行した女性ディレクターに話すと、「いやだあ。まるで聖フランチェスコの聖痕(スティグマ)じゃないですか」と嘲笑う。そこで、フランチェスコがキリストと同じ十字架の傷跡をもっていたことを初めて知った。その伝説を真似たか、または意識過剰の状態じゃないですかと、その女史に揶揄された。
そんなつもりは毛頭なかったのでこの偶然に私はたまげた。むろん、自分がそんな偉人でありたいなどという、大層な野望なんか抱いたことなんかない。かといって、自己暗示にかかるほど感受性がつよいわけではない。何より、聖痕のことは現地に来るまで知らなかったのだから、この事実をどう理解していいか、自分自身もてあました。
大江さんのエピソードはよく知られている。
光さんが障碍をもって生まれたとき、若い大江さんは手術するか放置するか決断できないまま、仕事で(逃げるように)広島へ行った。そして広島日赤病院の重藤文夫副院長に会って、一つのエピソードを聞かされる。それは被爆直後の病院での出来事だ。
重藤先生自身も被爆したが、瓦礫の日赤病院で不眠不休の治療看護にあたる。2,3日、先生は修羅場の中で生き残った医師や看護婦らとともに必死で働いた。
その中で、眼科の若い医者が衝撃を受けて、治療もできないまま、誰彼かまうことなく、「こんなことがあっていいんだろうか」と聞いて回っていた。重藤先生の元へも来た。すると、
先生はこう言った。「傷ついて苦しんでいる人たちがここにいる。治療するより他ないじゃないか」と。若い医師はうなだれて聞いていたが、数時間後、郊外の山中で自殺した。
この話は手術の決断ができない大江さんに響いた。「傷ついて苦しんでいる人たちがここにいる。治療するより他ないじゃないか」
重藤先生は、大江さんの個人的な状況を知っていて話したのではないことはもちろんだ。原爆病院の実相を世間に知ってもらいたいと願っているときに、たまたま若い作家が取材に来たのだ。そのとき、ほかのジャーナリストとは違うエネルギーを感じたと、重藤さんは奥さんに語っている。そして、その若い作家に問われるままかつてのエピソードを語ったにすぎない。眼科医の話もその一つだ。だが、その言葉は大江さんに響いた。
これを契機に、大江さんは東京へ帰り光さんの手術を決意する。こうして共生をすることになる光さんは、のちに大江さんの重要な文学のテーマともなり、ノーベル文学賞へともつながってゆくのだ。だから、この広島体験を大江さんは後に人生にジャストミートすると、書いている。
このジャストミートこそ、シンクロニシティとではないかと、私は思う。
来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング