荻窪、70年代
1974年、大泉の原っぱに黒いテントが禍禍しく建っていた。冬の寒い日で、簡易トイレには長い列ができた。
「阿部定の犬」――ここに出演するから見に来いよとカズオミに誘われて来た。今まで見たことの無い芝居だった。舞台の真中に昭和天皇の肖像がかかり、天皇が死去したというラジオ放送が流れるところから物語は始まる。「東京市、日本晴れ区、安全剃刀町・・・」という口上が、今も聞こえてくる。
私は荻窪に6年住んだことがある。天沼の喫茶店ぽろん亭を中心に、役者、作家、編集者、学生とずいぶんいろいろな人と仲間になった。カズオミとはぽろん亭のミヨを通して知り合った。黒テントの人気役者だった。私のアパートから歩いて5分のバスどおりに面した散髪屋の2階に間借りしていた。妻シスカと生まれたばかりのダイキの3人で暮らしていた。シスカももと劇団の研究生、子どもが生まれて俳優をやめていた。
役者といっても舞台だけでは喰えず、カズオミはテレビ映画の仕事、その他引越し屋の手伝いなど手広く仕事をやっていた。その町にはフーテンのアメリカ人やその愛人、新宿ボロン亭のマスター、左翼評論家、お茶の水にある大学へ通う学生らと多士済々が住んでいた。何かあると集まって酒盛りをやっていた。恋愛沙汰も3つや4つですまない。
酒盛りは店が退けた後のポロン亭で、サントリーの角を回しのみしていた。12時過ぎるとたいてい喧嘩になった。「あんたの考え、間違っているよ」と声がかかれば、なんだ、その言い草はと罵声で応じるのが日常茶飯だった。私も目つきの悪い小柄なシュージローという編集者に喧嘩を売ったことがある。青白い顔して津軽出身の、小説を書く男だった。なんだ、健さんみたいな名前をしやがって(注:「唐獅子牡丹」の主人公は花田秀次郎)、えらそうで気に入らないなと思ってふっかけたのだ。
呑んでますます青白い顔のシュージローは、まあまあと私を止めた。余計腹が立ってつっかかっていった。「あのねえ、俺さあ大学で空手やっていたんだよ」と言いながら、角瓶を鷲掴みしている。シュージローはね、こないだもヤーさんと八幡の境内でやってたよ。あんた負けるから止めなと、ミヨにたしなめられた。
あのミヨも4年前に死んだ。まだ62にもなっていなかった。シュージローは糟糠の妻を置いて、若い女と埼玉へ遁走してしまった。
そうだ、話題はカズオミのことだった。昨夜、コーイチからカズオミもシスカも癌になったと聞いた。耳を疑った。カズオミは先年胃がんの手術をしたことは知っていたが、シスカまで癌とは思いもよらなかった。カズオミ60歳、シスカ53歳。
2月1日に、駒込の病院へ見舞いに行くつもりだ。
午後から降り出した雨は本降りになった。冷たい冬の雨だ。
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