俳句の深読み裏読み
本当に俳句は面白い。季題と定型というしばりが「縮み文学」をますます洗練させる。
そうやって紡がれた言葉は、時には舌足らずで意味不明だったり誤解されたり、の思わぬ結果を生むこともある。
作者が詠んだ内容と違う解釈をされたままの作品というのも少なくない。逆に解釈も一つの創作だという考えもあるほどだ。誤解されて腹を立てる作者もあるだろう。良いほうに解釈されて照れくさい俳人もいるはずだ。
でもバルトではないが、いったん表現されれば、俳句は読者のもの。読者の特権を最大利用してやろうと、俳句の深読み裏読みを私は試みる。大胆。
句作に舌頭千転という言葉がある。5,7,5の言葉をああでもない、こうでもないと舌の上で転がすことだ。読むほうだってそれくらいのしつこさがなければ作者に負ける。中村真一郎が「舐読」という語を使っていた。舐めるほどしつこく読むということ。これでいってみよう。
今回は冬の句で、久保田万太郎だ。この人は花鳥風月より人事をよく詠んだ。本宅がありながら別宅で暮らすことが多かったり、早死にした女との間にできた子(つまり万太郎の息子だが)とは仕合せ薄い関係だったり、演劇界で権勢を振るう顔とは反対のさびしい境遇が多かった人物だ。
灰ふかく立てし火箸の夜長かな
鉄瓶に傾ぐくせあり冬ごもり
両方とも同じ光景だろう。寒さの厳しい時期、家にこもっているが人間関係のわずらわしさから逃れることはできない。女に責め立てられても、ううとか、ああとか、しか声をあげない万太郎。女はじれて金切り声をだす。それでも黙して火鉢をずっと眺めている。新派の一幕にありそうな風景だ。この人は御呼ばれに行った先で、赤貝を喉につまらせて死んだのだそうだ。変な死に方をした。
万太郎の肖像を見ると、縁なしの眼鏡をかけた爬虫類のような目つきの人だ。なんとなく質屋の主人といいたくなる風貌だ。人をいつも値踏みしている。この人の下で芝居をする役者もたいへんだったのではないか。管見だが、芝居の世界には天皇と言われる人が順繰り出てくる。万太郎、北条秀司、菊田一夫、と。近年では浅利慶太とか蜷川幸雄なんていう人らがそうなのかな。なんとなく俗物というニュアンスが重なる。でも石川淳によれば、万太郎は高い見識を持った男と評価されているのが気になるのだが。
万太郎句にもどる。
五徳にのせた鉄瓶が傾く、なんてことをよく見ているものだ。きっと、女にブツブツ言われていてもそういうことに頭を使っていて、小言なんか耳に入っていない。
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