安江良介、生と死⑤
1998年1月12日、安江良介の葬儀が青山葬儀所で行われた。
その冬2回目の雪が東京に舞った。朝から冷たいみぞれが降っていた。12時過ぎ会社を出て青山に向うと雪が一段と激しくなる。
12時20分、弔問の列に連なる。12時30分葬式が始まる。3人が弔辞を読んだ。政治学者坂本義和、大江健三郎、池明観。それぞれ心に残る内容だった。
坂本義和、「あなたに後を託そうと考えていたのに、これでは順序が違うではないですか、」冷静な坂本が感極まっていた。かつて大村収容所から取材して帰った安江が示した態度を、坂本は覚えている。「同じ人間でありながら、どうしてこれほどひどいめに遭わなくてはいけないのでしょうか」と安江は怒ったように言ったのだ。
大江健三郎、「悲しみに沈んで降る雪を見つめていたとき、息子の光が声をかけました。〈沢山の本を読んできました〉そうだ、私には本がある。そう思って悲しみを癒すために読んだのはプルーストだった。アナクロニズムという重要な言葉をプルーストは使っている。それは時間があちらこちらと飛ぶような意味が本来だ。ぼくも安江君と過去、未来、現在にわたっていきいきと出会うことを考えた。」途中で断ち切られたような人生でもよく見ると豊かな達成がある。
池明観、「安江さんは分断された南北朝鮮のことに対して一生痛みを持ち続け、韓国における軍事独裁政権について悲しい思いを抱き続けました。安江さんはこと朝鮮に関するかぎり、一度も非難されたり欠点を指摘されることがありませんでした。韓国人の一人として私の民族にも非難すべきことが、数多くあることを私はよく知っていましたので、今でもそれが不思議に思えます。」安江のバランスをとるということは、強い者にも弱い者にも同じ比重を置くことでなく、弱い者を強めることであるという思想を安江がもっていたことを池は明かした。
雪はますます激しくなった。周囲の森も見る見る白くなる。千人の献花の列が続いた。そして、雪の中を人々は帰っていた。雪は金沢生まれの安江にはふさわしい。私は金沢で後に開かれたお別れの会のために映像を編集した。その最後に、安江の俳句を添えた。
咲く花に姿正せと粉雪舞う
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