安江良介、生と死④
安江が死んだのは今から8年前のちょうど今頃、冬にしては暖かかった。その日のことを私は記録した。その日記を以下に挙げる。
* *
予期しないことが起きた。安江さんが亡くなったのだ。出社すると韓国の池明観さんから伝言のメモがあった。「今朝未明、安江さんが死んだ、このことはまだ他言無用」とある。
驚いた。先日、奥様から聞いた話では転院先をどうするかということで、症状は悪いなりに安定していると思っていたから。メモの時刻は9時半になっていた。
午前中打ち合わせとコメント直しがあって私は動けなかった。午後1時過ぎやっと仕事に段落がつき、池先生が投宿している渋谷のホテルに駆けつけた。先生は偶然にも新春特番に出演するため、昨夜日本に来ていたそうだ。すぐ安江さんを見舞っている。そのときは異変もなかったので、訃報に耳を疑ったそうだ。
池先生は憔悴しきっていた。目に光るものがあった。先生はぽつぽつと話した。
《昨夕、日本へ着いてすぐ大塚の病院へ見舞った。最初は例のようにぼんやりしていた。そのうち最近の韓国情勢について話すと安江さんの顔つきがやや変わった。金大中氏が大統領になったよと伝えると、安江さんはかすかに反応を示した。別れ際、握手すると力強く握りかえした。》
年が明けてからずっと平熱が続き安江さんの容態は安定していた。6日は流動食用に胃に管を通す手術が予定されていた。午前4時看護士が回ったときは異常なし。5時異変が起きた。呼吸不全を起こし家族が呼ばれた。まもなく息をひきとった。池先生は7時過ぎ知って駆けつけた。家族と数人だけがいただけで、大江さんの姿は見ていないという。
池先生はテレビ収録のための打ち合わせがあるということで、別れて私はホテルを出た。安江宅に向かおうと思ったが、大江さんに一報入れたほうがいいのではと思い、車を拾って世田谷へ向かった。
大江さんは留守だった。留守番の人に聞くと大江さんも奥さんも外出していた。待たせてほしいとお願いしているところへ奥様が帰ってきた。新年の挨拶をしてすぐ安江さんのことはご存知ですかと問うと、夫人は知っていた。留守電に通信社から一報が入っていたのだ。それを聞いて大江さんは一人で安江宅へ向かったという。私も、後を追った。
白山の安江宅をたずねた。出てきた奥さんと子息にお悔やみを申し上げた。遺体が安置されている部屋に案内された。部屋には大江さんだけがいた。肩を大きく落として座っていた。
私は枕元に座り安江さんの横顔を見た。額の右に手術跡か大きなくぼみがあった。眉が黒々と伸びていた。穏やかな顔にもどっていた。合掌した。
長居は迷惑になろうと、席をたった。お先に失礼しますと大江さんにも告げて、外へ出た。
安江宅前の路地でしばらくいた。ひょっとすると大江さんが出てこられるかもしれない。そうしたら送って行こうと考えた。30分ほど待った。路地にはまだ正月の名残があった。半月が浮かんだ。日が暮れてやや寒くなったがそれほど厳しい寒気でもなかった。
大江さんは現れなかった。おそらく深夜まで枕元で見守っていることになるのだろう。
私はその足で新宿に出た。一杯飲まなかったらやりきれない気分だった。
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