安江良介、生と死③
安江はたいへんな読書量をほこる勉強家だった。専門の政治思想だけでなく宗教、評論など多岐にわたった。
その安江は20世紀末に来る21世紀に2つの危惧をいだいていた。一つは人間の主体性が維持できにくくなるのではないかということ。ITやCGなどによりきちんとした人格が維持できるかということ。もう一つはアメリカ帝国主義による「文明の衝突」史観の流布とニヒリズムの蔓延だ。
ナチによって処刑された牧師ボンヘッファーが使った言葉「和解、共生」を、安江はよく引用した。
この和解という語は安江の思想をみるうえで重要だと、私は思う。
金沢の金箔職人の家に生まれた安江は家族思いの勤勉な少年であって政治的関心など元来まったくなかった。大学時代も政治の季節だったがまったく顧慮していない。その彼が生涯かけて取り組んだのはアジアとの和解であった。
あの戦争で日本はアジアの国に多大な苦しみをあたえた。そのことを謝り償い、あたらしい関係を作り上げることこそ、日本の歩む道と考えた。ジャーナリストとして実践してゆく。
1972年、韓国に軍事政権が生まれた。いわゆる維新体制だ。これに「世界」はすばやく反応した。亡命していた金大中と安江は緊急対談をする。そして、73年の初夏、再び金と会うことにしていた前日、金大中は拉致された。
この一月前、「世界」の誌上に「韓国からの通信」という記事が出る。筆者はTK生という匿名だった。軍政支配でまったく情報が途絶えたはずの韓国内の情報が次々に暴露される。この連載にいらだつ韓国軍政はさまざまな圧力をかけてきたが、安江はひるむことなく続けた。時には、筆者は安江自身による自作自演ではないかという中傷もとぶ。安江自身が襲撃される懸念もあった。筆者TK生を守るため、原稿の受け取り書き写しはすべて安江が行った。この連載は15年にわたり軍政が終焉をむかえるまで続く。
池明観さんは1971年来日していた。短期の滞在の予定だったが、安江から残って「亡命して」韓国の情報を世界に発信すべきだと説得される。これが「韓国からの通信」であり、TK生は池明観さんだったのだ。この事実は2003年までずっと秘密にされるのである。
現在、経済大国の道を歩んでいる韓国、韓流で日本にもおおきな影響を与える韓国、この成功への厳しい道のりに、日本における命がけの民主化支援ネットワークがあったことを覚えておいてほしい。その輪の真ん中に、安江良介はいたのだ。
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