安江良介、生と死①
ジャーナリズムとは世の中に向って流行していること新しいこと権力がのぞむことを語るものでなく、耳の痛いことを直言するものだ。
私は〈マスコミ〉の世界で長く働いてきたが,ジャーナリストとしてあることができたかというとそう言い切れない。むしろ怯楕なテレビ屋をやってきたと苦渋をもって告白しなくてはならない。
この道に進んでから仰ぎ見るようにした二人のジャーナリストがいる。桐生悠悠と安江良介だ。二人とも金沢の出身である。
悠々は信濃毎日新聞を舞台に活躍した大記者。戦前の暗黒時代、ほぼ孤立無援の状態で軍部に抵抗し赤貧の中にあっても節を曲げず闘い、1941年亡くなった人物だ。
もう一人、安江は1958年に岩波書店に入社、雑誌「世界」で健筆を奮った名編集者だ。彼が入社したときちょうど日米安保の改定で、ジャーナリストとして鍛えられるのだが、途中3年間請われて美濃部都政に参加する。そして再び岩波に入社し「世界」編集長として活躍した。生涯かけて追求したテーマは、日中関係、日韓関係、韓国民主化問題、南北朝鮮統一問題であった。
やがて安江は1990年岩波書店社長となる。ベーチェット病と闘いながら経営者としても敏腕を奮いつつ、日韓関係改善のための活動も辞さなかった。それが彼の命を早めることになるのだ。96年、安江は倒れ意識をなくす。数日後、目を開いたときには声も出ずコミニュケーションもままならない状態になっていた。2年後の1998年1月、安江は死んだ。まだ63歳だった。
二人に共通するのは、高い識見をもちけっして大きな力に屈することがなかったことだ。
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