時間がずれたけど
以下の文章は、昨日の未明に寝床の中で書いたもの。出社してブログに入れるつもりだったが、アクシデントが起きてすっかり失念していた。帰宅してかばんをチェックしたら入力したUSBを発見。ちょっと時間が経ったが、今から(深夜0時)のせる。文章があっていないのはそういうことだ。
あけがたに
あけがた目が覚めるとひそかに雨がふっていた。トイレに立って戻ってくる。春を呼ぶ雨まではまだ遠いはずだが、あの一雨ごとに寒さが緩む雨に今朝の雨は似ていた。先週のような底冷えがない。窓にぽたんぽたんと雨滴があたる。遠い日のことがよみがえってくる。
2年に一度くらい、あけがたに目覚めて来し方を思うことがある。
あと3日で誕生日、58歳になる。よくここまで来たものと思うところがある。と同時に往時はかえってこないということも噛みしめる。
眠れないまま本棚から永瀬清子の詩集を取り出す。
あけがたにくる人よ
あけがたにくる人よ
ててっぽうぽうの声のする方から
私の所へしずかにしずかにくる人よ
一生の山坂は蒼くたとえようもなく さびしく
私はいま老いてしまって
ほかの年よりと同じに
若かった日のことを千万篇恋うている
その時 私は家出しようとして
小さなバスケット一つさげて
私は宙にふるえていた
どこへいくとも自分でわからず
愛している自分の心だけがたよりで
若さ、それは苦しさだった
その時 あなたが来てくれればよかったのに
その時 あなたは来てくれなかった
どんなに待っているか
道べりの柳の木に云えばよかったのか
吹く風の小さな渦に頼めばよかったのか
あなたの耳はあまりに遠く
茜色の向こうで汽車が汽笛をあげるように
通りすぎてしまった
もう過ぎてしまった
いま来てもつぐなえぬ
一生は過ぎてしまったのに
あけがたにくる人よ
ててっぽうぽうの声のする方から
私の方へしずかにしずかにくる人よ
足音もなくて何しにくる人よ
涙流させにだけくる人よ
この詩を万年筆でノートに写している。パーカーの万年筆は1年前に私の退職祝いとして広島時代の仲間が贈ってくれた。
たった1年前のことも、10年前の広島のことも、20年前の長崎のことも、30年前の金沢のことも、そして40年前の故郷のことも、――みな同じものさしの上に目盛りが刻まれてゆく。
永瀬が歌う「地球のまるみだけがぼんやり見えるつめたい空気の中で」、私もじっと起きている。
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