勘違い歌3
勘違い歌の正解が分かったので忘れないうちに書く。
今晩は鍼で新宿に行った。診察まで時間があったので紀伊国屋で立ち読みした。
新刊で、題は忘れたが藤原正彦と安野光雅の対話で美しい日本語について話していた。
そこに、「蛍の光」が出ていた。
♪いつしか年もすぎのとぉ あけてぞ今朝は別れ行く
これには、私も勘違いと思った杉の戸が入っていた。掛詞だったのだ。年も過ぎると杉の戸をかけている。さらにその杉の戸を開けてと、年も明けてが掛かっていると、藤原は語っていた。
なんだ、なんだ。子供心にてっきり自分の勘違いと思っていたが、結構いい線まで分かっていたのだ。
ところで、この二人の組み合わせはなぜかと思ったら、小学校の師弟の間柄だった。安野が津和野から出てきて吉祥寺のほうで美術の教師をやっていた頃に、藤原は習ったそうだ。今は数学者としてエッセイストとして高名な藤原は、あの新田次郎と藤原ていの子供だ。
安野さんとの付き合いは私も古い。最初は今から30年前だ。こども空想美術館という特集でお会いしたことから始まる。以来、安野さんの態度は全然変わらない。どんなに偉くなってもちっとも変わらないのだ。おなかがぷくっと出てにこにこしている。だが、とても深い知性を秘めている。私は安野さんの騙し絵が好きだ。安野さんのエピソードは機会を改めて書くつもりだが、一つだけ安野さんとした仕事について書いておきたい。
今から25年前の夏、安野光雅と養老孟司の対談番組を作ったことがある。いや、制作の手伝いをしたことがある。中村ムクさんという大先輩がディレクターをやった。25年前ですぞ。当時、安野さんはともかく養老さんはほとんど知られていない。ムクさんは養老さんがマイナーな雑誌に寄稿したのを読んで、この二人の対談を企画したのだ。
今なら当たり前のゴールデンコンビだが、当時信州まで行って二人の対談を収録することにまわりはかなりの抵抗を示した。この実現に裏に回って懸命にサポートしたのがデスクのマツゲンさん。名デスクだった。先年50歳になるかならぬかで急死した。
つい、昔話になったが、われらが先輩には凄い人たちがたくさんいたということを書きたかったのだ。
ところで勘違い、錯誤はその人間の本質を表すとか。私ももっと探してみよう。
明日から札幌へ行く。
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