女と戦争①
毎年、賀状を見るたび今は亡き清水鶴子さんのことを思い出す。毎年律儀に呉れたのだが、その文面はいつも同じ繰言だった。
「おめでとうございます。お元気のようでなによりです。私はといえば、夫と長男に先立たれ残された娘も嫁いでからは疎遠となり体も日に日に弱り、生きていてもしかたがない身の上となりました。このうえは一日でも早くあの世へ召されて、天国にいる夫と愛しい児に会いたいと思うばかりです。」
何も新年からそんなことを言うこともないだろうと思いつつ、清水さんの淋しい境遇を思えば無理もないと同情したものだ。その清水さんも亡くなって今年で15年になる。
私が初めてドキュメンタリーらしいドキュメンタリーを作ったのは1982年のことだ。それまで番組は作っていたものの子供向けの音楽番組だった。その年の夏にラジオのドキュメンタリーシリーズで初めて挑んだ。タイトルは「女と戦争~ひとすじの煙」。主人公が清水鶴子さん(73)だった。
清水さんはあの戦争で愛する3人の男を失った。夫はフィリピンで戦死。息子は北満ハイラルで病死。弟は宮古島で戦病死。状況の違いはあれ戦争が清水さんから3つの命を奪った。その過酷な体験を清水さんは『軍靴の音よさらば』という本に著した。1981年のことだ。
清水さんは山の手のお嬢様として幸せな少女時代を送ったが家業不振で没落。職業女性として働くとき清水弘と出会い結婚。夫は嘱望される少壮の経済学者だった。やがて夫は1次召集され北満ハイラルに赴任する。そこで長男恒が生まれ幸せが訪れたかにみえたが、長男は突如肺炎となり急死、わずか1歳半だった。清水さんの哀しみは深かった。満州の赤い夕陽が落ちる野に夫と二人で愛児を焼いた。
ひとすじの煙となりし吾児の骨夫と拾いぬ北満の丘
清水さんの悲劇は終わらない。いやむしろここから始まったのだ。この続きはあらためて稿を起こそう。
ところで、この私にとって初めてのドキュメンタリー番組についてもう少し書き足す。これはラジオだが一応夏の特集番組だった。作品性の高いものを求められた。私は清水さんの苦難の道を辿りながら、もう一つ番組の流れを作ろうと考えた。そこで登場したのがシンガーソングライターの吉岡しげ美さんだった。吉岡さんはこの数年前から「女と戦争」というテーマでライブコンサートを開いていた。その彼女に清水さんの旅に同行してもらうことにした。そして旅の最後に、吉岡さんに清水さんの戦争短歌を歌ってもらおうと考えたのだ。
清水さんと吉岡さんと私の3人旅は都内の各地を巡り、山梨県まで足を伸ばすことになる。清水さん母子が疎開した地である。
1982年夏、私たちは歩き続けた。
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