古い詩集たち
年末とて部屋を掃除する。普段使わない書棚の奥まで雑巾をかける。そこに若い頃読んだ詩集や詩論があった。金井直、永瀬清子、石原吉郎、荒地、山家集、石川逸子、吉本隆明…。懐かしくなり手にとる。ちょっとのつもりがいつのまにか読みふけっていた。
石原吉郎―シベリアに抑留され、その体験を見つめ続けた。彼の語句「生きること自体が人間にとって不自然である。」その詩「おれよりも泣きたいやつが/おれのなかにいて/自分の足首を自分の手で/しっかりつかまえて/はなさないのだ」
石川逸子―長く広島、長崎のことを見つめてきた元教師。その詩集「千鳥ケ淵へ行きましたか」を1986年に私は手に入れた。「赤ん坊をあやしていた 中国人のあなたを/妻子に頼られてた 朝鮮人のあなたを/腹を撃たれた マライ人のあなたを/漸くにして想う
千鳥ケ淵で」
吉本隆明―1967年に詩集を買った。食わず嫌いだったから好奇心でだ。一篇の詩にひかれた。「ユウジン その未知な人/いまは秋でくらくもえている風景がある/きみのむねの鼓動がそれをしっているであろうとしんずる根拠がある」
富岡多恵子―こんなのが詩でいいのかと訝しく思いつつひかれた。「とりあえず/なにをするべきかと思ってみるに/まあゆっくりオシッコでもして/それから靴下をベッドの下からひっぱりだす/あんた」
田村隆一―カッコウつけていたな。サントリーのCMにも出演していた。「ウイスキーを水でわるように/言葉を意味でわるわけにはいかない」
鷲巣繁男―美術番組を担当する先輩がこの人に私淑していた。知る人ぞ知る人だった。この人を通してイコンを初めて知った。「いたるところに焔が逆立ってゐる。/春の枯草の原、/まぼろしのやうに人人が火をうちすゑてゐる。」
そして書棚の奥にひっそりと黒田三郎があった。
たかが詩人
あなたのお人形ケースにしても
あなたの赤いセータアにしても
あなたが勝手に人にやってしまうには
なんといろいろの都合の悪いことが
この世にはあることだろう
きっとあなたそのものも
あなたが勝手にひとにやってしまうには
お人形ケースやセータアと比べ物にならぬくらい
いろいろの義理や
都合の悪いことがあるのだ
欲しがってはならないものを欲しがった後の
子供のように
僕は夜の道をひとり
風に吹かれて帰ってゆく
新しい航海に出る前に
船は船底についたカキガラをすっかり落すという
僕も一度は船大工になれると思ったのだ
ところが船大工どころか
たかが詩人だった
読みふけっていてふと気がつくと、日が翳って部屋はすっかり薄暗くなっていた。ああ、今日も部屋を最後まで片付けることが出来なかった。
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