忍ぶ恋
サラリーマン川柳を読んでいたら、こんな句をみつけた。
ケイタイがないとき君たち何してた?
まったく、老いも若きも男も女もひっきりなしにケイタイをしている。並んで歩いていてもケイタイをしている。これほど絶えず人とコミニュケーションをとっていたいなら、無かった昔はどうしてたのだ、と問うてみたい川柳作者の気持が分る。
江戸俳句についてのエピソードから、こんな話を作ってみた。
江戸の宗匠が俳諧の手ほどきのため、越後へ下ったときのこと。現地で何日かにわたって運座をした。地元の米屋の女房(たしか未亡人だったが)とねんごろになった。といっても清い関係で互いに思いを抱いただけ。だがこういう低温ほど火傷は深い。
宗匠が江戸にもどっても女房は忘れることできず、宗匠もまた女の面影が焼きついて離れない。お礼かたがた句を添えて越後へ便りを出すと、しばらくして返事が届いた。そこには先の句に付けた句があった。これで十分だったのが昔の恋。
こうして二人は年に1回または2回ほど句をしたためた手紙のやりとりをする。当時はクロネコもサガワもない時代。飛脚を頼むのも物入りだ。何かのついでにその方面に向かう便があれば、それに乗せるとか工夫をしながら細々とやりとりは続いた。
10年たって宗匠は隠居の身となっても相聞歌は続いた。
20年を越えた頃便りが途絶えた。越後の消息が不明となった。
(つづく)
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