詩のような詩についてのゴンベン
昨夜食べたものが何かをもう忘れたの ちょっと危ないのじゃない
そんなことはない オレにはたくさん覚える言葉があるからそんなことにオレの脳のハードディスクを使いたくないのだ。オレの頭の中には無数の言葉が浮遊している
「詩」というのは、言葉の海からの厳しい選択だと思えるのは三好達治ぐらい
詩は言葉でできている 言葉とは誰でも使える とっておきの自分だけが研究してきたアウラがついた言葉なんてない 辞書にあたれば皆平等だ その言葉を並べるだけ
並べ方が少し珍しいとそれは詩になる
だから偶然のようにして並んだ言葉も彫琢されて作られた詩も結果だけ見ると変わりはしない
詩って安易だよな
高橋源一郎が関川夏央の本の目次を並べたら詩になっていたと書いていた
大江光さんが相撲放送を聞いていて 「今、アナウンサーが俳句を言われました」
どんな俳句?
「前みつを早くとりたい出羽の花」
詩とはなぜゴンベンに寺って書くのだろう 詩とは抹香くさいものか
ばちばち生きているはつらつ動いているということを表すものでなく
人生のこと宇宙のことか恋のこと見えないものについて意味深いことを著すもの か
アホなこと下劣なこと汚いことを詩は書かないの か
言葉を聖なるものに崇めるために ゴンベンに寺をつけているのか な
忘れないために見える詩についてここに書いておこう
山村暮鳥の詩
いちめんなのはな いちめんなのはな
いちめんなのはな いちめんなのはな
いちめんなのはな いちめんなのはな
いちめんなのはな いちめんなのはな
白い紙に言葉が染みとなってついているだけなのに
風景が見えてくる
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