「歌伝説ちあきなおみの世界」を見て
今夜、あなたの特集番組を見ました。先日放送されたのが好評で、再放送になったのですね。担当したプロデューサーが、私の顔を見て是非見てくださいと自信ありげに宣伝したので、しっかり見ました。
あらためてあなたの歌が心に沁みます。歌謡曲と呼ばれる流行歌は、昭和23年生まれの私にはかけがえのない音楽です・
4年前、私はあなたのドキュメンタリーを作りたいと考えて、あなたの周辺にかつていたという人物と接触交渉しました。私なら話がつけられるという触れ込みだったのですが、しばらく待たされて結果として何も成果はありませんでした。そのとき思いました。ああ、あなたはこういう人たちに囲まれて生きてきたのだと。
話は変わりますが、あなたの顔を拝見していて、今夜つくづく派手な造作だなあと思いました。きっと幼少の頃はとんでもないおどけ顔だったのではないでしょうか。失礼なことを言うなとお怒りにならないでください。
小学校の同級生で山本トクコちゃんという娘がいました。彼女もどんぐり眼で口が大きく素っ頓狂な顔をしていました。(と、少年の私は思っていたのです)彼女の家は町中にあって、両親ともに日雇い労働をしていました。金持ちの韓国人が経営する大きな建設会社のとなりにある借家に住んでいました。幼い弟妹がたくさんいて、家は火の車のようにみえました。着ている洋服はいつも同じで、給食費の提出がいつも遅れていました。
勉強はあまりできなかったけど、休み時間になると大きい声でおしゃべりしていました。たいていミラノ劇場にかかっている松竹映画のスタアについてか美空ひばりのことです。大きな口を開けて目をくるくるさせて話していました。
彼女は学級委員の「女王」の取り巻きでした。医者の娘のその委員はいつも高そうな洋服を着てバイオリンケースを持ち歩いていました。都会のにおいを漂わせていて皆から一目置かれていました。山本トクコちゃんはその中へ入っていました。いや入ろうとしていました。
ある日、トクコちゃんの家の前を通るとおでんの屋台がありました。どうやらお父さんが夜の仕事を始めたようです。
翌日、学校で私はおでんの屋台のことを冷やかしました。おまえの父ちゃんは酔っ払いを相手にしているぞと。たしかに、その時私は彼女を差別していました。貧しいこと、学業が奮わないこと、水商売であること、こういうものがないまぜになった嫌らしい感情をぶつけていました。
いつもなら反撃するトクコちゃんは黙ってじっと私の顔を見つめていました。ロバのような大きく黒いトクコちゃんの瞳はかなしげに、でも一言も言いませんでした。私は今もその目を忘れることができません。台風の日に、幼い弟妹をかばって下校してゆくトクコちゃんの後姿とともに、目に焼きついています。
あのトクコちゃんが大きくなったらこんな顔になっているだろうなあと思ったのが、今晩見たちあきなおみさん、あなたの顔でした。ちあきさんが歌う「紅とんぼ」を聞きながら、山本登久子ちゃんは今どうしているかなあと、思い出しました。
ちあきなおみ様へ ご自愛ください。 敬具
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