暮れが近づくと死者を思うことが多くなる
9年前に、末期癌の患者の戦いを追ったドキュメンタリー「わが人生に悔いはなし」を作った。横浜の運転手、山下邦弘さん(49)の人生だ。
その年のはじめ、朝のワイドショーで保険金の生前給付がアメリカで話題になっていることを放送したところちょっとした反響があった。普通、保険金の受け取りは本人が死亡後受取人が取得するものだが、あらかじめいくばくかもらって治療などにあてたいという声にこたえて、保険会社が新しく開発したのだ。実は、この制度は試験的であれ日本でも始まっていた。
山下さんは余命半年と宣告されたときから、生前給付を希望した。酸素ボンベとモルヒネ治療にかかる経費を払うためだ。さきのワイドショーを見た山下さんは私のチームに自分も実践していると連絡をしてきた。そして、今から死に至るまでを撮影してもかまわないと申し出られた。1996年当時はこの提案はショッキングだった。自分の晩年をカメラの前にさらすというのはまだほとんどなかった。私はずいぶん悩んだが撮ることにした。同病で悩む人に少しでも励ますことができるならと考えたのだ。
私と年が1つしか違わない山下さんは、延命治療を拒否。病院ではなく自宅で妻の光江さんと二人だけで死をむかえる道を選んだ。10年前に結婚したふたりは再婚同士。普通の夫婦より一緒にいた時間が短かった分、残りの人生は沢山幸せを作りたい、宣告を受けた後そう決意したのだ。
番組では、余命を知って、妻と二人で自宅で死をむかえる道を選択し、人生を清算しようと懸命に生きる山下さんの最期の日々を静かに描いた。
離れて暮らすこどもたちとの再会のシーンがある。23歳の娘と高校生の息子だ。二人を連れて山下さんは居酒屋へ行き、近況を伝え合いながら、黙って別れを告げる場面だ。山下さんは別れの言葉など一言も口にしないが、痛いほど哀しみと切なさが伝わった。そこにいた取材チームも思わず熱いものがこみ上げるのであった。時間が来て、駅で左右に別れるとき、山下さんは二人の子供の影がなくなるまでずっと立っていた。カメラはその横顔をじっと撮っていた。
その日から1ヶ月経って、番組は放送された。もうベッドから起きられなくなっていた山下さんは、いい番組だったと喜んでくれた。それから半年、わずか50歳で山下さんは逝った。
山下さんはカラオケが好きだった。お気に入りの歌は石原裕次郎の「わが人生に悔いなし」
♪鏡に映る わが顔に グラスをあげて 乾杯を たった一つの 星をたよりに はるばる遠くへ 来たもんだ 長かろうと 短かかろうと わが人生に 悔いはない
♪桜の花の 下で見る 夢にも似てる 人生さ 純で行こうぜ 愛で行こうぜ 生きてるかぎりは 青春だ 夢だろうと 現実だろうと わが人生に 悔いはない わが人生に 悔いはない
山下さん、勇気をありがとう。合掌
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