冬の俳句
昨夜、故郷(くに)に電話したら母が今雷が鳴っているのが聞こえるやろと、言った。
耳が遠くなった母ですら響く音だから相当大きいのであろう。故郷では雪おろしと言う冬の雷だ。今年の冬は当初の予想とちがってかなり寒くなるだろうと、気象庁が予報を修正したと今朝の新聞が報じていた。
連休の朝、湘南の光を浴びながら部屋を片付けて、俳句解説書や句集を整理した。ついでに冬の句を今の気分で選んでみた。
まず同じ北陸出身の犀星の句は共感するところが多い。
冬の日や知らぬ町に来て人を訪ふ
冬ふかくほとけの彫りもみえがてに
犀星はこの冬深いという表現を好んだようだ。たしかに冬が深まった師走などに、お寺へ行くと寒さが畳の上からじんじん来る。寒さのあまり見上げる仏像の顔もこころなしかぼやける。次の句は、犀星が金沢を離れるときに作ったもの。前書きが「金沢と別る」。
寒菊の雪をはらふも別れかな
雪の怖さを知っているのはやはり雪国育ちだ。犀星もそうだが一茶は終生そこで生きた。
雪ちるやおどけも言えぬ信濃空
石田波郷という人はずいぶん人に愛されたようだ。追悼文を読むと、大勢の人がその気性を愛し惜しんでいる。男の色気があったのだろう。彼を慕った一人が石橋辰之助。石橋が早世したとき石田は「こんなに友人を愛した人も少ない。ぼくはもっとも愛された一人だ」と回想している。その石橋は戦時中新興俳句弾圧でつかまるという苦難を生きた人物なのだが。彼の句。
夕映えの町角友とひきかえす
友情厚い人ということが知れる。その石橋が死んだ頃、水原秋桜子が詠んだ句。
冬菊のまとふはおのが光のみ
さすがと思わせる、冬の日にふさわしい句だ。
京都へ足を運ぶ機会が増えて、蕪村の句がだんだん近くなる。
易水にねぶか流るる寒さかな
易水は中国河北省の川だが、ここでは賀茂川を見立てているらしい。冬ざれた川を1本ねぎが流れていく。まさに寒々とした風景だ。まるで映画のトップシーンのようだ。蕪村という人は本当に近代的だ。
冬は重く苦しいことばかりではない。体をこごめて寒さをやり過ごすくらしもまた、ささやかな喜びにつながる。京都仏光寺室町東入ルに閑居した蕪村。冬ごもりの醍醐味をさらりと表現する。
桃源の路次の細さよ冬ごもり
連休3日間、私もこの山にこもってちょっと勉強しよう。
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