いつまで続く泥濘で、いいか
憂鬱なことが続く。コロナの悲惨不安が始まって1年以上になろうとしている。こんな時期に日本がオリンピックを開催することになるとは、2年前には予想もつかなかった。日本は1940年、当時の言葉でいえば紀元2600年という意味のある年にオリンピックを開催するつもりでいた。ところが日中戦争が泥沼化し、軍部の圧力もあって開催撤回を申し出る。
オリンピック開催はヘルシンキに替わる。しかし欧州情勢が悪化し、ついには中止となった。そして1941年の暮れに真珠湾奇襲が起きて、日本は最悪の道を歩むことになる。
この痛恨をなんとか挽回し、日本でこのスポーツの祭典を開きたいと願って出来たのが、1964年の東京オリンピックだった。
そして、2020年東京は3回目の機会だった。だが延伸となって、2021年7月の実施が目前に迫った。果たして実現するだろうか。コロナ禍の不安は依然拭えない。どれほど日本および日本国民が周到に予防策を立てても火種は期日までに根絶やしすることも無理であるし、外国の諸選手ら1万有余の転入移動もリスクが懸念される。
本日、英タイムズ紙が「日本政府は内密に東京五輪中止」と報じた。IOCや政府は否定しているが、外部から見れば当然中止の状況にしかみえない。なのに、なぜ決定を先送りにして、何をしようとしているのか。IOCからの圧力か、五輪スポンサーへの配慮か。どんどん時間と金と人材が浪費される。
「後手に回る菅政権」と冷笑することでいいのだろうか。もはや国としてのシステムは正常に働いているとは思えないい。官僚らもまったく声をあげない。為政者の劣化はさらにひどく、国会を追われる国会議員は後を絶たない。党から除名される議員の数も少なくない。あまりにひどい。閣僚の顔ぶれもひどいが宰相そのものも資質が問われるのではないか。今国会の予算委員会での答弁もほとんど原稿棒読み
であるし、斬新な提案もまったくない。ポストコロナへの展望もない。
1993年の選挙に負けて下野すればどれほど惨めかということを知った自民党は、その後何が何でも権力を手放したくないとしがみついている。だから妖怪のような幹事長が徘徊し、その周辺に追従が群れる。こういう権力構造をどこかで見たことがあると振り返ると、1992年の金丸信事件だ。金丸の脱税は政治資金法違反事件に発展し、自民党は瓦解し、次の選挙で敗北した。あのときの政界の空気に酷似している。
予兆は前の安倍政権のときから起きていた。モリかけ事件で不正が発覚したにも関わらず、安部首相の責任はうやむやになった。その前後から政治のモラルが格段に落ちた。
対岸アメリカのトランプの極端な政策に苦笑し、半島の文在寅政権を揶揄し、大陸の習近平体制を恐れていると、いつのまにかこの国の足元はぽっかりと空洞ができていた。こんな泣き言ばかりを言っているわけにはいかない。子や孫の世代に深刻な負荷を残さないためにも今やるべきことをやっておかねばならない。
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