有り難うさん
清水宏監督が注目されたことがある。小津安二郎の盟友で、戦前の松竹大船調を築いた人物と言われるが、小津ほど評価されていない。小津の作品はどちらかと言えば屋内劇で、ロケを主調とした清水は映像美としても低いと見られていたのだ。たしか中野翠さんが清水を「発見」して昂奮した文章を書いていたと記憶する。かれこれ10年前のことになるだろうか。
その清水の代表作に「有り難うさん」がある。伊豆の下田から天城峠を越えて三島に向う15里の街道。その山道を行く乗り合いバスの運転手の物語だ。昭和10年頃の未舗装の山道をバスが通り抜けると、行商人や馬車や道路補修の人たちは道を譲った。その都度、運転手は「ありがとう」と声をかけていく。その誠実な人柄が街道筋の人から慕われて、有り難うさんと呼ばれている。映画では主人公を上原謙が演じている。戦前を代表する映画スターで加山雄三の父でもある。
この映画はウェルメイドなロードムービーとして、近年評価が高くなった。映画通は、ここに登場する道路補修の人たちが朝鮮人の集団であったことを発見する。当時、韓国を併合した日本には職を求めて日本へ渡ってきた朝鮮人がおおぜい働いていた。その姿がしっかり切り取られていると、評論家が清水の社会性の高い見識を褒めると、俄然清水の生き方や人生に注目が集まった。ツタヤの名作コーナーに清水の作品が並ぶようになったことを思い出す。
ここまでは承知していたが、この映画「有り難うさん」の原作についてまったく無関心であった。原作者は川端康成であった。冬至の前日にあたる2020年12月20日に原作を読んだ。別に意味はない。ただ、川端の作品と出会ったということを覚えておきたいと年月日を記述した。短編ばかりを収録した「掌の小説」のなかに小説「ありがとう」はあった。読んで驚いた。わずか2400字ほどの小篇だ。しかも物語のプロットはたった一つ。伊豆の寒村に住む15歳ほどの少女が母に連れられて、町に売られていく(身売り)話だ。
バスが夕刻に停車場に着いた。運転手も件の母娘もバスから降りる。運転手の後ろ姿に母親が声をかける。「ねえ、この子がおまえさんを好きじゃとよ。私のお願いじゃからよ。手を合わせて拝みます。どうせ明日から見も知らない人様の慰み物になるんじゃもの。ほんとによ。どんな町のお嬢さまだっておまえさんの自動車に10里乗ったらな」母親は人柄のいい運転手に、一夜だけ娘と過ごしてやってもらえないかと頼んだ(らしい)。
次の朝、何もなかったかのようにバスに運転手が乗り、母と娘も乗り込む。そして母がぼやく。「どりゃどりゃ、またこの子を連れてお帰りか。今朝になってこの子に泣かれるし、おまえさんには叱られるし。私の思いやりがしくじりさ」
たったこれだけの母親の愚痴めいた言葉しかない。だが何があったか浮かび上がってくる。昨夜、母は仕合わせの薄い娘を思って、抱いてやってほしいと運転手に頼んだところ、運転手は怒った。そればかりか朝になって娘は行きたくないとぐずる。なまじかけた思いやりがとんだ結果になったと母はぼやくのだ。小さな小さな小説世界。
この小さな小説を清水宏はしっかり心に刻んだ。琴線をざわっと揺らされた清水は、見事な長編の映画世界に変幻させたのだ。たしかに読み込んだ清水は偉かった。
だが、川端文学の文章世界がどれほど広大で深いものであったかを、改めて私は思い知らされた。
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