胡桃の中の使わぬ部屋
冬の寒さの厳しい今頃になると、夕方、西の空に金色の雲がたなびくときがある。その雲をじっと見つめている向田の姿を時々私は幻視する。
向田邦子が南方の空に散ったとき、大勢の人が嘆き悲しんだ。小説と呼べるものは、まだ二十篇しかない。テレビ千本、ラジオ一万本の「貯金」を使って小説というかたちで、どんなふうに読者を楽しませてくれるのやらこれからという時だったのに。短編の名手と言われたが本当は長編作家でなかったのか。シナリオ「幸福」は、文庫本にすると五百ページ以上の分量がある。多数の登場人物を多彩に書き分ける力量は並々ならぬものがある。もっといろいろな才能を発揮してほしかったなど、惜しむ声が溢れた。
「あ・うん」で主人公の長女さと子に抜擢された岸本加代子は、「落城記――わが愛の城」に出演のため、京都の撮影所にいた。これは、故野呂邦暢原作をテレビ化したもので、邦子が初めてプロデュースした作品であった。邦子の事故遭遇の一週間前、八月十六日のことである。陣中見舞いとしてやって来た邦子は別れ際、「あ・うん」の続編をまたいっしょにやろうと岸本に声をかけた。俳優会館の階段の上から、次は、さと子の結婚するところから始まるからねといった。
「向田さんの分身でもあるさと子が結婚する、何だか不思議でした。先生は結婚しなかったのに、どうするんだろうと思ったのを覚えています」
岸本が最後に見た邦子は風の中で笑っている姿であった。
この話を、私は「向田邦子が秘めたもの」という番組を制作したとき、岸本さんご本人から聞いて、深く心に残った。
向田は俳句をひそかに熱心に読んでいたふしがある。ドラマのタイトルにも句からとったものがあるほどだ。「胡桃の部屋」。これはまだ知られる前の鷹羽狩行の「胡桃割る胡桃の中の使わぬ部屋」から引用した。俳句雑誌などをこまめに読んでいないとこうはいかないだろう。ところで、向田の中の「使わぬ部屋」には何が秘められていたのだろうか―。
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