定年再出発 |
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草隠れの地蔵
新型コロナによる三密回避のため、目黒から渋谷まで電車を避け徒歩で通勤している。徒士(かち)組と自慢している。山手線に沿って8キロほど歩くのだが、途中、代官山の麓の線路端に間口10㍍奥行き3㍍ほどの草叢があって、真ん中に石の地蔵菩薩像が立っている。 丈が低いから、夏の間は周囲の草が生い茂って姿が見えなかった。秋になって顔を出した。草隠れの地蔵だ。誰かが世話をしているようにもみえない。ときどきジュースが七分目ほど入ったガラス瓶が供えられている。今日は加えて蜜柑が一個転がっていた。灰色の歳晩の景のなかで、蜜柑のダイダイ色が目に染みた。賽銭のつもりか、菩薩像の周りには百枚ほどの1円玉が散らばっている。くすねるふとどきな輩もいないようで枚数が減った様子もない。 地蔵は一枚石に浮彫りとなって、その周りに命日と戒名が刻まれている。左側に「享保九年辰六月十一日」右に「智秀童女」とある。どうやら墓仕舞いのときに放置された墓石の一部らしい。このあたりには大名や旗本の抱屋敷が多かったと聞くから、武家の娘であろうか。童女とあるから幼くして亡くなったか、もしくは水子を弔ったものではないかと思われるが、偲ぶよすがも手がかりもない。この半年間通るたびにこの地蔵立像が気になってしかたなかった。恵比寿-渋谷の往来の激しい区間、しょっちゅう電車が通過する。山手線や埼京線の長い車両が轟轟と走りぬける。片隅にひっそりと立つお地蔵さん。
夜になって木枯らしが吹いた。部屋の暖房(ヒーター)をつけた。草隠れ地蔵が生まれた享保の時代のことをぼんやり考えていた。八代将軍吉宗が統治していた時代で、町民文化が勃興したり洋学が始まったりする一方、ひどい飢饉もあった波乱の時代だ。もっと詳しく知りたいと、高輪図書館から、文芸文庫の「近松門左衛門」を借りだした。近松の没年が、奇しくも地蔵と同じ享保9年であることを後ろの解説で知って、興味を覚えた。 文芸文庫の近松は2巻もので、ひとつは「曽根崎心中」、もう一つは「心中天の網島」が収載されている。「曽根崎心中」は2011年に杉本文楽のドキュメントを制作したとき熟読したから読み飛ばして、「天の網島」を集中的に読んだ。享保5年に実際に起きた情死事件を題材にして書かれた物語だ。(菩提寺大長寺伝)。 紙屋治兵衛と妻おさん。そして愛人の遊女小春の“三角関係”が物語の軸。治兵衛の心は小春に傾いているから精確には不等辺三角形の関係だ。姦通、不義密通と当時は犯罪扱いされたが、今なら不倫という恋愛として考えてもいいだろう。二人の子供を持ちながら、治兵衛は新地の遊女小春に惹かれて通って3年になる。まわりは道ならぬ道を心配して引き裂こうとするが、かえって二人の仲は深まるばかり。もし離れ離れになるようなことがあったら心中しようと二人は誓いあっている。一方、妻のおさんの方は何も気にしていないとばかりに明るく健気に振る舞っている。 あるとき、小春が客に心中を約束しているが本当は死にたくないとこぼしているのを、治兵衛が盗み聞く。怒った治兵衛は戸の外から刃を小春に向けて刺そうとする。刃は届かず殺害に失敗して、居合わせた客に捕縛されてしまった治兵衛。客は実は治兵衛の兄で、家業も放り出して遊女にうつつを抜かす弟の治兵衛をなんとか改心させたいと廓にやってきた時にこの事件が起きたのだ。 小春の死にたくないという言葉に落胆した治兵衛は小春と別れることを決意し、二人で立てた誓いの証文を取り戻す。その中に、小春にあてた妻おさんからの手紙があった・・・。
おさんと小春の二人には「おんなの義理」という絆があるらしい。今のモラルでは分かりにくいが、妻妾は互いの立場を思いやっている。それぞれの苦しい事情と一途な情が物語の展開とともに浮かび上がってくる。「曽根崎心中」のような一本調子の道行きとは違い、二重三重に義理と人情がからまる曲折の物語だ。それだけに男女の一途さが際立つ。といっても治兵衛は妻子を打ち捨て小春と心中を図るという自分勝手はどうしても気にはなるのではあるが。 こうして一旦は別れた治兵衛と小春。意外な出来事が重なって二人の縒り(より)は戻り、再び心中へ向う地獄の歯車が動き出す。実際の事件を題材にとったとはいえ、めくるめくようなジェットコースター的展開。近松門左衛門のイマジネーションと表現には舌を巻く。 最後の段、「網島、大長寺」。心中の段取り手際は、「曽根崎心中」と似ていて、最初に男が女を刃で殺め、遅れて男が自裁する。ここでは治兵衛は首をくくってぶら下がるのだが、その光景がまるで風に揺れるひょうたんのようだと近松門左衛門は記す。 《南無阿弥陀仏と踏みはずし。しばし苦しむ生(な)り瓢(ひさご)。風に揺らるる如くにて。次第に絶ゆる呼吸の道。息堰きとむる樋の口に。この世の縁は切れはてたり。》 この世の縁は切れはてたりーーこうしてすべての柵(しがらみ)を断ち切り、小春・治兵衛の2つの魂は結び合って暗黒宇宙を久遠に飛び続けるーーふいと、代官山の草陰地蔵を思い出した。。 パソコンのキイを夢中で敲いていたら、突然目の前の本棚から本が落ちて来た。驚いて手に取ると、詩人天野忠の『木洩れ日拾い』(編集工房ノア)。15年前に京都百万遍の古書店で入手したもので、懐かしくなって、パソコンを打つことも忘れて「バスの中」「路地暮らし」「もみじのような言葉」など、天野の平易だが深甚なものを感じさせる文章世界に引き込まれた。この本が出された当時、天野は79歳。下鴨糺の森近くの路地奥に老妻とひっそりと暮らしていた。
四十年・・・・ ふっくらしたばあさんになって 入れ歯をはずして 気楽そうに寝ている ときどきいびきをかいている。 小さな借家の 古い畳の上で。
一度だけ天野をインタビューしたことがある。富士正晴が死去した翌年の1988年のことだ。終戦直後に天野が勤めた京都の出版社で富士と机を並べたことがあって、思い出を聞いたのである。関西文壇の重鎮とはいえヤンチャな富士と天野はどんな会話を交わしたのか知りたかった。答えは実にあっさりしていた。はんなりした京ことばで、富士は神経が細かいところがあったなあとぼそっと呟いた。吹きだしそうになった。傲岸にして型破りの富士が天野の手の中で踊らされている姿が浮かんだ。手厳しいなあ。天野は関西独特のユーモアを溶かし込んだ皮肉をシラーっと語った。大隠は市に隠る。
詩の中で、“路地裏のちっぽい”と謙遜する家はきれいに整頓されていて、小さいながら住みやすそうな落ち着きとやすらぎがあった。
代表作「私有地」は著者が読売文学賞を受賞した70歳の時の絶唱である。
いろいろなむかしが 私のうしろでねている。 あたたかい灰のようで みんなおだやかなものだ。
むかしという言葉は 柔和だねえ そして軽い・・・・
いま私は七十歳、はだかで 天上を見上げている 自分の死んだ顔を想っている。
ライトバースの達人は深い言葉を特に老年期にたくさん残して、「晩年の達人」とも言われた。 「私有地」の3つめのスタンザーー自分の死んだ顔を想っている、という言葉には度肝を抜かれる。裸になって天上を見上げている。天井ではない。目は瞑らず開けたままで自らのデスマスクを凝視している。 自分も真似してみようとやってみたが、何も見えてこない。目を閉じても浮かばない。「むかしという言葉」はいっこうに軽くならない。 この本のあとがきに天野は「木洩れ日を拾うて余生を歩む私」と書いていて、著者79歳の心境を紡いだ作品だと知れる。5年後に他界するのだが、実りの多い幸福な晩年を過ごしたと伝記にはある。が、はたしてそうだろうか。天上でにやにや笑っている天野が浮かんでくる。
今朝、代官山のお地蔵さんの傍を通ったら、蜜柑が失くなっていた。 来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
by yamato-y
| 2020-12-17 20:42
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