遥かなわがスペイン
初めてスペインへ行ったのは25年前の1980年。長男が生まれた年なのでよく覚えている。
――その5、6年前から私はスペインの芸術、文学、歴史、そして政治に興味をもつようになっていた。その頃はまだフランコの威光が生きていた。緩くなったとはいえ、ファシストの時代はまだあった。冷戦が後押しするように軍部の支配が続いていた。
1975年、フランコ総統が死んだ。スペインを取り巻く情勢が流動化しはじめた。民主化の声があがってきた。50年前、滅ぼされた共和政の理念が甦ってきた。
ピカソの生誕100年を迎える1981年に、長くニューヨークの近代美術館(MOMA)にあった名画「ゲルニカ」がスペインへ帰国するかもしれないという話が流れた。ピカソの遺言で、祖国に共和政にもどるまで、この絵を返すなということになっていた。が、政体が変れば返還の可能性もあるとなったのだ。私はこの名画の由縁をたどるドキュメンタリーを企画提案した。
「ゲルニカ」――MOMAに“借用”されたままになったこの名画が辿った数奇な運命。
これを制作するため、私はスペインに渡った。
この年1980年の夏、日本は寒かった。冷夏だ。ピカソが生まれた南スペイン、マラガの海で、私はその夏はじめて泳いだ。地中海でジブラルタルが指呼にあった。
そもそも私がスペインに関心をもったのは、1936年に勃発したスペイン内戦である。スペイン市民戦争とも喧伝されるこの事件は、70年代を体験した私にとって切実な課題と重なっていた。
1980年当時、厳しい体制で渡航もままならなかったスペインは、今や簡単に行ける国となった。あの頃の私には遥か遠い国であったが、そのことの阻害要因はなくなった。
一方、私の中にあった、あの頃の思いは遠い彼方へと消えていた。私の中では遥かなスペインとなった。先日、映画「アナザーカントリー」を観て,あの頃の思いをかすかに思い出した。その記憶を少し追いかけたくなった。
このブログに、新しい項目「遥かなわがスペイン」を立てようとする理由だ。
石垣綾子さんのこと、ジャック白井のこと、ガウディのこと、ビクトル・エリセのこと、亡くなった編集者三須さんのこと、ゲルニカのこと、国際義勇兵のこと、日本で支援した人々―大阪の労働者たち、・・・。いろいろな思いが浮かんでくる。
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1980年当時のサクラダファミリア