飛騨の国から
飛騨高山に50年来の友Tがいる。金沢の大学で同窓だった。卒業後、彼は飛騨に帰って先生になった。
数年前、中学の校長先生を最後に職を退いだと便りをよこした。心優しく、さぞ生徒想いの先生だっただろう。その彼が短歌を嗜んでいると、歌集「ちぐさびより」が届いた。そのうちの一つ。
おろかしく学校勤務終えてなほこころ開かぬ子らの夢見る
今夜、それを目にして瞼が熱くなった。
そのTが失恋した夜のことを思い出した。晩秋だったと思う。金沢にブリ起こしの雷が鳴って冬が到来するちょうど今頃だ。まだ路面電車が走っていたかもしれない。中町の私の下宿にやってきたTは何も言わず、ギターを弾き出した。なんだろうと盗み見すると、やつの目から大粒の涙がぽたぽた落ちた。何も語ることなく弾き続けて、そのまま泊まったか、帰ったか、記憶がはっきりしない。なにか日活映画の青春ものを見ているような気がした。それをきっかけにさらに仲良くなったことは覚えている。
大学に代々伝わる四高寮歌があって、コンパには大声でどなり歌ったものだが、その歌詞を今読むと、なんだこれ恋愛詩だったのだと思う。
♫北の都に秋闌けて われら二十歳の数ふ 男女(おのこおみな)の棲む国に 二八に帰る術もなし
二八とは16歳のこと。男と女が棲んで生きているこの町に我はいて、もはや男女の恋など知らなかった16歳戻ろうとしても出来ないものよ。という意味かな。そう思って歌を口ずさんで、ああこれは四高生の恋への憧憬を歌っていたんだと気がつく。この歌の2番が
♪その術なしを謎ならで 盃捨てて嘆かんや 酔える心のわれ若し われ永久(とこしえ)に緑なる
かくしてわれもTも永遠に緑なると思っていたら、50年経ち、70過ぎた翁となったわけだ。
Tの短歌をもう一つ
反戦を叫びし青春(とき)の過ぎゆきて思い沈みぬ終戦の日は