亡ぼされた者の記憶
エトルリアの壷
九段のイタリア文化会館で「エトルリア展」が開かれていたので見に行った。陳列の品数、展示法は物足りなかったが新しい知見を得ることができた。その展覧会のカタログを執筆した若手の歴史学者と昨夜会食した。
紀元前8Cから歴史に登場し6Cに最盛期をむかえたエトルリアは紀元前1C頃ローマに吸収されたという。エトルリア―滅んで歴史の彼方に消えた文明というのが、私の興味をそそる。
強大なローマはエトルリアの記録を徹底的に破壊した。墓誌くらいしか残していない。それゆえエトルリアと交易したギリシアとかローマの側からしか書かれたものはない。だから伝わる歴史は勝者の描いたもので、それ自身「歪み」をもつことは自明だ。だからエトルリア人は好戦的で享楽的と伝説化したのだ。考古学の発見とともに歴史学は、次第にエトルリアの実像を明らかにしつつある。若手歴史学者の発言から力強い手ごたえを感じた。
エトルリア学は二十世紀の後半急速に進歩したそうだ。謎と考えられていた風習や文化、歴史がすこしずつ明らかになってきた。
エトルリア人は後のローマ人の話すラテン語(インドヨーロッパ語族系)とは違う言語を使っていた。先進地のギリシアと交易することで、新しい文明をイタリア半島にもたらすなど多くの功績があり、死者と交信することなど独自の文化を築いた。こういう知見がしだいに表れてきているのだ。
歴史とはどんなに勝者権力者が隠そうともついには開示されるものだ、と、信じたい。
以前から気になっていたのが明日香のキトラ古墳だ。壬申の乱のとき大きな粛清があったと思えてならないのだが。亡ぼされた側の記録はすべて消されているが、歴史学の進展にともない新しい(敗者の側の)史実が現れてくることもあるのではないだろうか。私はあの古墳に大きな悲劇が隠されていると思えてならないのだ。
エトルリアとキトラ。突拍子もない着想だと専門家に笑われそうだが、いつの時代も新しい知識は嘲笑をもって迎えられるということを覚えておきたい。
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