高輪
南方海上に台風10号があって日本列島を虎視眈々と狙っている。道理で今日一日ピーカンと夕立が交互に襲来して不安定な天候だった。
五反田の公立図書館を午後4時半に出て、このところ日課としている15000歩ウォークを開始。五反田から山手通りに沿って大崎、北品川を経由して品川駅から高輪に抜けるコースを選んだ。直前に図書館の書架で見つけた俳句雑誌で「畷道(なわてみち)」という言葉を知った。田んぼの中のあぜ道を指すという。南北朝時代、楠木正成の四條畷の闘いでもその名前が登場する。畷とは田んぼのような湿地帯を表すようだ。その中を貫く道を畷道(縄手道)と呼んだ。ここまで俳句雑誌を読んで、ふと閃いた。
港区史に高輪とはこの区域に縄のような道があることから高縄という地名があって、それが転訛して高輪になったと書かれてあったが、元々は高畷道と呼ばれていたのじゃないだろうか。地形から観ると、高輪台地は海岸段丘で丘が海沿いに横に広がっている。高低差は20㍍もない小高い丘だ。先人はここを耕作して田んぼを切り開いた。おそらく丘一面に水田があった。この丘陵を南北に貫く一本道を高い(麓から見ると)畷道という意味で高畷と呼んだのではないか。ここから高輪の地名が誕生した、と私は推測した。
余談だが、隣接する麻布台は丘一面に麻畑があったと言われる。
ネットで地名由来を当たってみるとこう書かれていた。《戦国時代の軍記物語の中に「高縄原」として書かれていることに由来する。高縄とは高縄手道の略語であり「高台にあるまっすぐな道」を意味している。》
ほぼ私の推論と同じだが、一点違うのは縄道とは「あたかも高いところに張った縄のようである」という解釈だ。高は一般論の高ではなく、現地の地形で、百姓たちが居住する麓から見れば高い場所にあるという意味ではないかと、しつこく食いさがる。
東京は丘が多い。高輪近辺でも白金、麻布、広尾などめぼしいものが幾つもある。私が育った若狭や金沢はほとんどなく、あるとすれば「山」だった。敦賀であれば天筒山、金沢であれば卯辰山(向山)。山ほど高くなく、適当に人影の疎ら丘という空間にずっと憧れていた。高校時代に愛唱した“ちぎれ雲”の一節「思い出し、独りで丘の道を登り、雲に向い叫ぶ。君だけが好きだよと」が胸に残っていた。詠み人知らずだが「丘のポプラは揺らぎ、独り居はなべてかなし」というフレーズも脳裏に焼き付いていた。こんな情景の丘に登ってみたいと常々思っていた。
そんなことを思いながら、ウォーキングで畷道を歩いて高輪ゲートウェイ桂坂を下っていくとぽっかり満月がのぼった。
畷道二百十日の月夜かな
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