雨の深川、小名木川そして門仲
正午に目黒の家を出て山越えで高輪新駅まで出て、山手線、総武線を乗り継いで両国へ出た。結局雨は降ったりやんだりぬか雨になったり、終日梅雨模様。人出が少なくて助かった。
両国駅北口から北上して震災公園にある震災記念堂と復興記念館に行く。ここは大正12年の関東大震災と昭和20年の東京大空襲の被災の記録と記憶が蓄積されている。原爆については長崎広島でたびたび資料館で体験していたが、地震と空襲の災厄については初めてだった。さまざまな被害にも圧倒されたが、もっとも衝撃を受けたのは自警団による朝鮮人虐殺の生々しい記録だった。竹久夢二が描く絵手紙にも出てくる。外に出ると、庭に「朝鮮人犠牲者追悼碑」がひっそりと建っていた。雨は蕭条と降っている。
ここから隅田川に沿って下った。国技館の傍を抜けて両国橋を経て新大橋まで。杉本章子の『東京新大橋雨中図』を思い出し、ひとしきり大川を眺めた。杉本は第50回直木賞を若くして受賞した。その記念の回の番組を作ったとき、初々しい彼女を私は取材したことがある。博多の人なのになぜ明治の東京を主題に選んだのか不思議だった。当時私は41歳。72になってなんとなく彼女の心境が分かるような気がする。しかし、62歳で杉本さんが夭折するとは思わなかった。もう一度インタビューしたいと願っていたのだということを、今日初めて気がついた。『東京新大橋雨中図』の主人公、小林清親の存在が重要であると気づいたのは2000年を超えてからだ。もっと早く気づいて、杉本さんに話を聞いておけばよかった。
さらに小名木川の萬年橋たもとの芭蕉稲荷に詣でる。ここに深川住まいの芭蕉の庵があったという。石碑に彫られた句「古池や」をなぞりながら読んでいると、遠くで海猫の声がする。大川端に出た。ちょうど隅田川と小名木川が合流するポイント。満ち潮で水面が膨れ上がっている、雨は依然止まない。
清澄白河に出て、そこから門前仲町までまた歩いた。夕暮れて、雨で人影もまばら。小林清親の光線画のような風景じゃないかと、独りごちた。
ここまで来たら、行く先は決まっている。門仲駅前の「魚三」。いつも満席で長待ちになるが、コロナのご時世どうなっているかー。
うまくいった。ちょうど一席だけ空いていた。すぐ後客が来たから、間一髪。
席に座ると即注文。「イカ刺し、アジのたたき、鰯の刺身」「熱燗」。鰯と酒がすぐ来た。
鰯があまくて美味い。コップ酒がほどよく染みる。
2合呑んだところで、鰤の吸い物を頼む。これが酔い覚めにちょうどいい。勘定は1310円。
すっかり暮れて、永代橋をわたり茅場町へ。そこから地下鉄で恵比寿まで行き、地上に出て目黒の家まで線路伝いに歩く。どこかで折りたたみ傘を忘れたらしい。ぬか雨が酔い覚ましに心地よい。
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