命ーサカイヨシノリちゃん
新型コロナウィルスの話でネットも世間ももちきりだ。家に居てネットサーフィンをしていたら、「空席に座る子」というサイトに出会った。
若い夫婦(といっても20代後半)が病気で幼児を失い、その傷を互いに癒えないまま憎しみあっているという間柄で起きたことを報告した記事。その夫婦は和解しようと、その子供が生前行きたがっていたディズニーランドへ出かけて、園内のレストランで亡き子供をまじえて食事を取ることになっていた。二人だったが、4人掛けのテーブルを予約していた。二人で座った。店内は混んできて、店員から席を替わってほしいと懇願される。生真面目な父親は実は昨年亡くなった子供の命日で、出来たらここで祝いたいと申し出る。事情を聴いた店員は謝って退いた。その後、二人の元に3人分の料理が届く。一つはお子様ランチ。そして突如バースデイソングが鳴って、サプライズのケーキが夫婦のテーブルに運ばれてきた。我が子の死後、ギスギスしていた(離婚を覚悟していた)夫婦は言葉を失い、居るはずもない愛児の席に幻がパパとママに向かって呼びかける。という「tearjerking物語(お涙頂戴)」だ。
分かっていたけど思わず泣いた。サカイヨシノリちゃんの両親と兄の思いを60年経て想起したのだ。
私は車の運転が出来ない。免許は一発でパスしたが、いざ路上に出ると体が強ばってしまうのだ。だから免許は70歳のときに返上したが、50年間に3回しかハンドルを握っていない。
中学校1年の春、私は交通事故を目撃した。ちょうど中学へ進学する直前の春休みで、友達と疎水のほとりで木片を船に見立ててレースをやっていた。そこへ元気のいい幼稚園生が3人ほどやって来て、このレースをしばらく見物していた。着ているスモックはグレイでキリスト幼稚園の子供らだなと気づいた。小川の流れは意外に急で木片は土手のあちこちにぶつかりながら下流へ流れて行った。「ああ面白かった」といって、ヨシノリちゃんらは帰って行った。10㍍ほど先の国道8号線に向かって走っていった。私は立ち上がって、その方向を見送っていた。先頭のヨシノリちゃんが横断しようとしたとき、下手から走ってきたダンプカーが襲いかかった。園児の小さな体をオオカミのような獰猛な口がヨシノリちゃんを飲み込みそして吐き出した。その瞬間がスローモーションとなって目に焼き付く。ヨシノリちゃんは背中をこちらに向けてポーンと弾き飛ばされた。一瞬何が起きたか混乱した。恐怖はなくむしろ驚異だった。だが、すぐにその場面は私のトラウマとなった。その後何度も悪夢を見るようになる。そして、数年後、自動車学校に通って車の運転を始めたとき、ハンドルを握ると言い知れない恐怖で脂汗が出た。
1年経った頃、私はわたしの両親が通うキリスト教会の礼拝に出た。そこは幼稚園も経営していて、その教室を抜けて礼拝堂に行こうとしていた。そこで真新しいオルガンが設置されていることに気づいた。なにげにオルガンの鍵盤を見ると、譜面立ての下に何かが書かれていた。「寄贈サカイヨシノリ」とあった。電撃が走った。
事故を見た恐怖、ヨシノリちゃんの悲劇は頭にこびりついていたが、御両親の悲しみなどまったく考えたことがなかった。しかし、そのオルガンを見たときどれほど父上と母上そしてお兄さんはどれほどヨシノリちゃんを愛していて、その喪失が苦しく悲しかったかを一瞬にして知った。
来られた記念に下のランキングをクリックして行ってくれませんか
人気blogランキング