ケータイの紛失―老い先の運命か
昨日の午前から正午にかけてケータイが行方不明になった。午前中まで電話をかけていた記憶があると思うが、どうもそれは一昨日の午前だったと家人は言う。なくしたのは一昨日の夜半の酩酊のときに目黒駅前の酒場もしくは路上で紛失したのではというのが外部の見立て。私個人の主観は昨日の午前まで枕元にあって充電していたはずと認識するのだが、客観情勢はどうも分が悪い。最近、記憶の把握がやばい。出来事の順序や物事の生起が逆転したりするのだ。おまけに記憶の出来事そのものの印象はあるが、その日時や場所などのディテールがおぼろになりつつある。つまり記憶のエッジが溶けてきている。これも古希を越えての老いの道かと思うが、周囲に言わせると昔からではないかという。
ケータイ紛失はこれで4度目だ。最初は梶原一騎未亡人の取材で訪れた練馬の原っぱで紛失。これは発見できず、番号を変更して新しいのを購入した。次は8年ほど前に訪ねたタイのチェンマイの空港だ。税関を通るとき、タイ側にケータイを置いたまま通過。周章てて引き返そうとおもうと停止を命ぜられ、それを取り返すには再入国が必要だと警告された。飛行機の出発時間も迫っていたので、次に来るときに奪還しようと泣く泣く諦めた。そのリベンジと思いつつ時は流れ、そのケータイも流れた。
3番目の紛失は何があったか失念したが、これもやはり番号変更して新しいスマホにした。買い換えたのが昨年の11月だから、まだ半年も経っていないのにまた紛失したのだ。自分の馬鹿さ加減に呆れる。とにかく一つのことに想念が集中すると、他がぽかーんと脱けるのだ。だからこれは老いの惚けでもなく元来の私の資質らしい。あほらしい。
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といって、洗濯機に放り込んでいたものを取り出して干そうと思ったら、靴下の片一方がない。洗濯機の水槽にも、風呂場の前にも、ベランダの干し場にもない。さっきまであった靴下の片方が行方知れず。こりゃあ、「神隠し」のたぐいが悪さをしておるんかのお。話はずれるが、季語で「桜かくし」というのがある。桜の花の季節に、季節違いの降る雪を指すという。ついでにお金をかくすのもある。
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