6回目の年男となり
今日で6回目の年男となった。なんと72歳。まさかここまで「長生き」するとは思わなかった。亡父が71で昇天したから自分もせいぜいそれぐらいだろうと思っていたが、なんと本日誕生日を迎えて、その禁忌を破ることになった。複雑な心境だ。
団塊の世代として、生きてきた青春、働き盛り、の時代は躍動に満ちていて楽しくかつ苦しいつまり楽苦しい人生で悔いなどなかった。むろん辛いことや悲しいこともあったが、過ぎてみればそれもあっての人生と振り返ることができるポジティブなものであった。
だが仕事が消滅するにつれ生きる意味がすこしずつ希薄になっている。日本の国も世界の経済もなんだか先行きが暗い。あまりこれからは見たいものがない。平知盛ではないが「見るべきほどのことは見つ」の心境が最近だった。
何か、こうしたいという意欲が湧かなかった。だからブログを書くこともなかった。本日は自分にとっても特別の日だから、すこし奮い立たせようと思って、パソコンに向かった。
まったく柄にもないのだが、ここ1,2年クラシックにひかれる。まったく無縁できたが、大江光、若林暢を通して知ったクラシック音楽が私を安心させてくれる。今、惹かれてやまないのはベートヴェンの「悲愴」。こんな音の流れがなぜこれほど身に染みて、人の生きてきた道を振り返らせることができるのだろうか。とにかく、今日中に何かを刻んでおきたいと思って書いたブログ。
荒星や地平すれすれの瞬き