夜更けのハーモニカ
深夜3時。眠れぬまま起き出して、冷やを2杯ほど呑む。寝しなに飛騨高山の友達を思っていたら、その学友のやんちゃな顔まで思い出し、そいつが先年病気で早期退職をしたという話を思い出したら、やけに淋しくなった。猫翁が言った淋しいとはこんなことを指しているのだろうか。いったんその圏内に入るとなかなか抜けだせない。
歌でも歌うか、それともハーモニカでも吹くか。ありえない。こんな都会のど真ん中で、深夜に吹いたら、挙動不審で一一〇番されてしまうだろう。
大磯の家が懐かしいなあ。七年前まではあの山の上の家に住んで、夜中でも一人歌っても何も差し支えがなかったのだ。
目黒に移って一番物足りないのは、初秋から10月末まで続くひぐらしの合唱がないことだ。夜更けにヒグラシを思い出し、幻のハーモニカを吹く。
最近嬉しかったのは、三〇年以上音信のなかった昔の出演者からの小荷物が届いたことだ。長崎外海の名産品がつまった箱は思いがけなかった。昔、詩人の吉野弘といっしょに外海を旅してもらった少女からの贈り物である。彼女は今その町に住んで、美容院をやっているらしい。彼女の祖先は潜伏キリシタンだったということを、その番組を取材するなかで判明していくのだが、そのとき10代の乙女もいまや50代になっているのだろう。久しぶりの連絡は、その番組のDVDが欲しいという用件だった。彼女にとってもテレビの主人公になった思いで深い作品であるし、その後カトリックに入信する契機になった作品でもあるから。
今は敬虔なカトリック教徒。今月、長崎にローマ教皇が訪れる予定で、そのときには彼女はボランティアで長崎教区のお手伝いをするそうだ。彼女の祖先たちは200年間パパさまに会いたいと一心に祈ったとか。彼女がもしパパさまと直接会うことがあったら、どんな言葉を発するだろう。
贈り物の中に入っていた、地酒の日本酒を今2杯ほど飲みつつ、これを記している。支離滅裂の文章だが、これも自分。
呑んだら少し元気が出た。