他人事ではない
Wihiのルーターが疲れてきているし、家のパソコンも安定したネットワークがいるだろうと考えて、ソフトバンクのエアーという受信機を購入設定した。といっても簡単に出来たわけでなく、四苦八苦し、ソフトバンク目黒店に数回通って、やっと夕方自宅での運行開始となった。
加えて、ケータイもガラケーでは出来ないことが多すぎるので、Yモバイルに変えた。このスマホの使い方がまったく分からない。架けたり受けたりするぐらいは出来るが他のことはどうしようもない。おまけにすべての情報はメールで入ってくるが、あけ方や聞き取り方が分からないので、うっちゃって置くしかない。
ぶつくさ言いながら山手線に乗ると、向かいに座った3歳前後の女の子がするするとスマホを使いこなしているではないか。指の動きの速いこと。傍の親は眠っている。
インベーダーゲームが出て、スーパーマリオが発売されて、小学生の息子が泣いて「買ってほしい」と駄々をこねたとき、「ふん、こんなもの」と馬鹿にしていた私。それから苦節20数年。まったく私はIT難民に成り果てた。
そういえば80年代にビデオコーダーの操作が分からないと年寄りたちがぼやいていたとき、なぜこんな操作が分からないのだろうと不思議に思っていたが、今、スマホやパソコンで操作がまったく分からない自分を発見すると、因果応報だなと泣き言を言うほかない。
今、メディアの公共性ということをどう考えるかというお題をある雑誌から頂いて原稿を書こうとしている。公共放送の役割とは何かということは、会社に入ってからずっと研修などでも教えられてきたが、その一つに、社会的弱者、少数者の声を反映させて変えていくことだというのがあった。当時、私は長崎や広島にいたので、ヒバクシャの人たちを主題にすることだと機械的に思い込んでいて、自分とは「違う」存在だと考えて番組作りをしていた。ずいぶん傲慢だったなあと今になって思う。
71歳になった団塊世代の私は明らかに時代・文明の流れから置いてきぼりをくらいつつある。量販店の電機屋に行っても、スマホのショップに行っても、店員の愛想はいいのだが、説明となるとチンプンカンプンで分からない。アカウントってアドレスとどう違うのか、パスワードって何故2度打たせるのか、仕組みも意味もまったく理解できない。当方の知力低下も無論あるが、それだけでなく時代の流れ・仕組み・ルールにずれを感じるのだ。メカだけではない。言葉も分からん。「バズる」「陰キャ」。浅田彰が登場したときに「乗り突っ込み」という言葉で狼狽えたのが20年も前のことで、今ではネットで飛び交う言語は正確には理解できないまま、日常を過ごしている。これって社会的弱者じゃないだろうか。この救済もメディアの公共性ではないだろうかしらむとぼやーっと考えたり。
追伸:昨夜の「100分で名著」を見ましたか。大江さんの「燃え上がる緑の木」読み解き、めちゃ面白いですよ。その後の「落語ディーパー」も続けて面白い。
Eテレの黄金ゾーンだぞーん。
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