茂吉の短歌
明日というか今日、久しぶりにロケに立ち会う。今関わっている戦没したオリンピアンの企画で、かつて下町にあったプールで開かれた水泳記録会の名残を探すシーン。これを現地王子で遂行しようと週末から準備をしてきた。ここ2年、ジムでトレーニングしたせいか、体力はすこぶる良い。そこは心配していないが、記憶と判断がやや鈍くなっていると自覚する。リュックの中のどのポケットに鍵を収めたか、保険証はどこに入れたか、スイカは持っただろうか。その都度あたふたすることが多くなった。
先週、リサーチで埼玉の鴻巣まで行った。番組のキイパーソンの遺族が住んでいる。孫というその家の主人は矍鑠として、私たちの要望に応えて、故人の残した記録や写真を見せてくれた。そのなかに祝福の言葉が書かれた額があった。筆者は斎藤茂吉。故人と東大医学部の同窓だったという。故人が大臣になったときのお祝いの扁額らしい。茂吉の懐かしい文字がちんまりと並んでいた。つゆじもという茂吉の長崎を詠んだ短歌を思い出した。
家に帰って、長崎時代の茂吉の動静を久しぶりに探ってみると、次の歌と出会うことになる。
聖福寺の鐘の音ちかしかさなれる家の甍を越えつつ聞こゆ
ゆふぐれて浦上村をわが来ればかはず鳴くなり谷に満ちつつ
聖福寺、浦上、の名前は胸奥に焼き付いている。この歌を読み下したとき、何とも言えない思いが胸を駆け抜けた。この思いについては、いずれゆっくり考えて見つめるつもり。今夜は久しぶりのロケで高鳴る思いで眠りがたいこの時間に、眠れぬまま茂吉の短歌を甘噛みしていることだけ、久しぶりにブログに残しておこう。
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