まむしとお初天神
大阪に来ている。明日が本番だが、30日の本日は浜寺公園まで遠出した。ここに101年の伝統を持つ浜寺水練学校がある。シーズンオフで学校は閉じているが、どういう場所かということを知るために今朝一番に東京を発ってきた。
浜寺公園は堺市の海沿いの町、広大な敷地には立派な赤松林が整然とあった。手入れが行き届いていて、林間は清々しい。もともと海浜だったのだが、近代以降の埋め立てで周囲には巨大なコンビナートが出来て、浜辺はなくなり代わってプールが設置されることになる。水練学校はこれまでに37万の卒業生を育て、中にはオリンピックで活躍した選手も輩出したという名門クラブだ。
昭和8年ごろ、ここの校長だったのが斎藤たか洋。彼は日本人として2度目に参加したオリンピックの水泳選手だった人物で、その後、ベルリンオリンピックでは男子競泳のコーチとして華々しい活躍を遂げた。後に、フィリピンで戦病死するが、彼の輝かしい業績とは裏腹に彼の人生がずっと謎となっている。一説によれば岸和田出身、ある人名録には千葉県出身、ある人によれば東京出身と諸説が入り乱れている。分かっているのは岸和田中学から立教大学に入学し、そのときにアムステルダムオリンピックの選手として6位入賞を果たし、大学を卒業して大阪毎日新聞の記者となったということだ。この人物の手がかりを少しでも掴もうと、ゆかりの浜寺水練学校へ飛んできたわけである。
明日はミズノ本社の資料室に回る。ここに日本の近代スポーツの貴重な資料があるという。楽しみだ。
という大阪立ち回りの事情で、夕方ミナミの難波まで帰ってきた。小腹も減ったので、心斎橋筋をひやかしていると、立ち飲みの店があった。ハイボール300円、アサリの吸い物が250円、焼きそば200円とまことにリーズナブルな値段。
食い倒れの浪速だけあって味吉し、値段良し。空きっ腹だったせいか、かけつけで熱燗も。すぐに酩酊。ご機嫌で地下鉄千日前線、中央線と乗り継いで谷町4丁目へ向かった。ここには50年前に勤務した会社がある。建物はすっかり変わったが、場所は昔と変わらずJOBK、ジャパン大阪馬場(ばんば)町の角。唯一の昔の「部下」がまだいると知って襲撃した。酔余のまま歓談。15階の社員食堂から見晴るかすと遠くに生駒山系がなだらに連なっていた。手前には大阪城の場内が箱庭のように見てとれる。(太閤さんを下に見る)
そして梅田に出て、飛び込みでホテルを探す。阪急東通りの隅っこにあるサラリーマン御用達のホテルで旅装を解く。ホテル名物の巨大浴場に飛び込んで、いい気持ちになり、部屋にもどって仮眠。
午後9時に目覚める。また少し飲みたくなる。ということで曾根崎通りを逆走。お初天神に参った。この社の裏に昔から通ったサボイアがまだあると知っていたのだ。だが、どうも洋酒を飲む気になれず、向かいのうなぎ屋に入り込む。ここが正解。関西風のまむしのウナギのアテがめっぽう美味で、伏見の酒も灘の酒もなんでも合う。かくして轟沈。だが、本日の飲食代は合計しても3000円を超えていない。さすが大衆の町、大阪だ。
来月、京都の大学へ来た帰りにまた大阪へ寄ろうかなと悪企みを算段する退職自由人であった。