大江さんの言葉に促されて
この夏、ブログを中断した頃私はピンチだった。その前後の私はデプレッションの近い域にあった、と思う。無性にピアニスト守安祥太郎の「死」が気になってならなかった。
自分は今迷っていると感じた。ダンテの言葉が蘇る。
《われ正路を失ひ、人生の騎旅半にあたりてとある暗き林のなかにありき》
道の初めで怖気づいたのではない。道の半ばまで過ぎた頃に林の中で道を迷った。ダンテはそういうのだ。畏れ多いが、定年という道の半ばを過ぎた地点に立った私も、同様の感懐をもった。
大江さんは50歳を3つほど過ぎた頃、危機に出会う。《自分としてはどうもここから生き延びることはできないじゃないか、というような苦しい時期を経験した》
その苦難から抜け出て書いたのが『懐かしい年への手紙』という作品だ。この本からそういう臭いを嗅ぎ取ったのは、義兄伊丹十三だった。
伊丹は数年後六十を少し越えたところで自殺した。
その死を理解したいと、大江さんは2冊の本を記す。そして、その闘いは今も続いている。
大江さんはこの挿話を紹介した講演で人を励ますような言葉を発した。ダンテの次の言葉を引用して講演を閉じたのだ。
《かくてこの処をいでぬ。再び諸々の星をみんとて》
――地獄の暗黒の深みから外へと歩みつづけること、とぼとぼと。
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