若林暢の新作
会ったこともないし演奏を聴いたわけでもないのに、この人の人生と私の人生がどこかで交わり、気がついたら骨がらみで心を奪われていた。なぜこんなことが起きるのか。それが音楽というものの力なのだろうか。
彼女が演奏するヴィエニヤフスキの「モスクワの思い出」がはっきり言ってどこがいいのか私は分からなかった。それよりもショーソンの詩曲やブラームスのヴァイオリンソナタのほうがずっと高尚で品がいい作品だと思っていた。(今もこれらの作品が悪い作品とは思わないが)
でも若林暢財団の橋本さんは「モスクワの思い出」を高く評価していた。フシギだった。こんなロシア民謡の「赤いサラファン」を下敷きにしたような俗っぽい曲のどこがいいのか。
先日、あらためて聴いた。ぼんやりしていたが、これはピアノの伴奏以外誰もいない。つまり暢のヴァイオリンだけの演奏だ。私のなかで幾人かの演奏家が束になって作っている楽音だと思い込んでいたが、これは全部暢一人がやっているのだということに気がついて落ち着かなくなった。「そんな馬鹿な」「これほど厚みのある楽音が一人で奏でるなんて」「きっと録音でそういう処理をしているに違いない」。しかも音の“出方”だけではない。フレーズというか、音の段落でのサイレンスが素晴らしい。和風で言えば間の取り方。
これは若林暢が一人で奏でている。それが可能な技量と表現できる感受性を持っているから、と再認識した。暢の魅力はアンドロギュノス、両性具有性だ。小学生時代健康優良児に選ばれただけあって、骨格の太い素晴らしい運動神経の持ち主。一方、心根はもろ少女。夢見る夢子さんであると同時に男勝りの決断力。そして一途な思い。
今ひらめいたのだが、この人と同じ印象は、ロシア語通訳の米原万理から受けたことがある。一度だけ米原と仕事をしたことがあるが、その折に感じた印象が若林暢と重なった。そういえば米原もあふれる才能を未完のまま先年若くして死去した。
この「モスクワの思い出」を作ったヴィエニヤフスキはどういうつもりで作ったのかしらむ。属国ポーランドの出身で、宗主国ロシアに出かけていったヴィエニヤフスキはけっしてロシアを許容していたとは思えない。むしろ憎んでいただろう。ではなぜその地へ行ったのか。
たとえ憎い相手とはいえ、ロシア民族のその音楽への造詣は深いと知ったヴィエニヤフスキは虚心にロシア民族の音に耳を傾けたかったのであろう。やがて耳にした民謡「赤いサラファン」の平易でもの悲し気なメロディはスラブの民の悲しみを深々と表していると彼は感じとったと、私には想像できる。それをモチーフにさらにヴィエニヤフスキがモスクワで感じた体験を重ねて、あのように原曲を脱臼させながら進行していく「赤いサラファン」変奏曲が出来上がったのではないか。
このヴィエニヤフスキの作為を暢は楽譜を見たときすぐ読み取った(感じとった)。俗謡独特のあまさがある主メロディをあえて壊さず、だが次第に広がっていく「人生の悲しみ」を把握したヴィエニヤフスキの曲を暢独特の感性で描ききった「モスクワの思い出」。
再現芸術として、作者以上のものを付加して作り上げた若林暢の作品。
――「魂のヴァイオリニスト・甦る若林暢」が2019年早春の今ヒットしている。山野楽器のランキングでは、クィーンの「ボヘミアン・ラプソディー」に次いで2位だという。どんな人が聴いているのか、我が事のようで嬉しい。
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