影の国2
冬ソナを担当していた頃に書いた「影の国」というこのブログの記事を今でも読んでくれる人がいるようだ。私のブログの読書メーターに時々ひっかかる。それで久しぶりに自分の文章を読み返してすっかり当時の心境を思い出した。この記事に出てくる未亡人となった知人はその後かなり回復したとはいえ、未だに亡き夫を偲んでいて、昔の仲間とも会おうとしない。もう10年になろうとするのに。むろん日常の対話は普通になって感情を露わにすることもなくなったが、喪失の悲しみは癒えていない。
という話とは違うケースをこれから記す。
年来の俳句仲間のことだ。3年ほど前に伴侶を失った。一人で東京に暮らすことが苦しくなって東北の故郷へ戻った。実家に身を寄せたと聞いた。息災にやっているだろうと思っていたら、共通の友人が本日近況を伝えてくれた。なんと実家を飛び出し、赤帽の小型トラックに必要最小の家財だけ積んでフケたというのだ。家財というのはほとんど亡き伴侶の思い出の品々であったと共通の友人は慨嘆していた。どこへ行ったか家族も分からないそうだ。70の高齢者が一人でどうやって身過ぎを立てているのか。どうやって夜孤独に耐えているのか。心配だけでなくあわれに思えてならない。彼はまだ影の国に住んでいるのだろう。慰めてくれると思った故郷の「風景や人々」はすっかり変わっていたし、それどころか中原中也ではないが、「おまえは何をしてきたのだと、吹き来る風が」彼を責め苛むだであろう。
かつては俳味たっぷりの剽げた句を作る人であったが、今はすっかり笑いを失っているに違いない。相聞の苦悩は若い人だけのものでもない。否むしろ老人の苦悩のほうがリアルで切実のものがある。ことばは美しい影の国は、入り込むとなかなか脱けだすことの難しいディストピアなのだ。
みちのくや枯れ穂の先の溟き海
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