「若葉のうた」
海に降る雨よりさびし散る木の葉(古句)
こういう一節を、金子光晴の詩にみつけて、「鮫」や「髑髏杯」の詩人がと思い不思議な気がした。而してうれしくなった。金子光晴ですらこういう感情を尊重するのだ。感傷はけっして低級な感情ではないのだと。
金子の詩集「若葉のうた」を再読して心うたれた。70歳の老人の前に現われたみどり児若葉に金子は驚き感動する。どんなに心震わせたか、悲しいまでの喜びが読む者に伝わってくる。
《よその誰かのしあはせを、そっと失敬しているやうで、そはそはとおちつかない》
この詩集を発表したとき、世のむずかりやの評論家たちは金子に、こんな分りやすい詩を書いたら権威がなくなると、たしなめたそうだ。それに対して金子はこう述べる。
《しかし、詩が本来、人の心と心をつなぐ芸術であり、この世界の理不尽をはっきり見分けられたるためのジムナスである以上、愛情を正常にとらえ、愛情のもつエゴイズムと、その無償性を示すことは、芸術、特にここでは詩のもつ重大な意義と僕は考えている。》
生まれた孫に、金子はまっすぐの無償性を示す。メロメロだ。その一つ――、
ねむりながら、キャッキャッと声を立てて
わらう若葉
若葉は、おもしろい夢をみているだろう。
たのしい夢をみてるにちがいない。
ジジは、そばで蚊を追ってやりながらおも
う
その夢のなかに、入れてもらえない
ものかと。
でも、それは、しゃぼん玉のなかへ入るよ
りむずかしいね。
そう言えば、この乳児若葉の父に、金子はかつてどれほど激烈な行動をとったかを思い出した。
あの戦争のさなかのことだ。息子に召集令状が来た。彼は行かせないためにあらゆる画策をする。部屋に閉じ込めてナマの松葉を燻したり、重い荷物を背負わせて長い距離を走らせたりして、体力を弱らせた。そのうえで医師の診断書を作らせた。こうして徴兵をくぐりぬけ終戦を迎えたのだ。
強(こわ)い愛情をもつ金子光晴が初孫にそそいだ眼差し・・・。
一方、詩人は若葉の将来を心配もする。この子が大きくなって成人になったとき、この国はどうなっているのだろうか。猿のように西洋の身振りを真似するような国になっているのではないかと、金子は暗く予感する。
今、私たちは金子のみつめた「未来」にいる。金子にそうはならなかったと胸を張って言える世の中であるだろうか。西洋の身振りを真似するあまり、同胞の沖縄を再び裏切るような所作に陥ってはいまいか。
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