日曜のファンタジー 雨の木
昨夕、雨のあがった森を帰ったとき、数回頭に水滴を受けた。よく耳を澄ますと
森中でしずくの音がしている。おちこちで響く音を聞いているとアナザーワールドに滑り込んだ心地になるから不思議だ。
大江健三郎さんの「レイン・ツリー」を思い出した。たしか1982年に書かれた『「雨の木」を聴く女たち』で提示されたイメージだ。
《「雨の木」というのは、夜なかに驟雨があると、翌日過ぎまでその茂りの全体から滴をしたたらせて、雨を降らせるようだから。他の木はすぐ乾いてしまうのに、指の腹くらいの小さな葉をびっしりとつけているので、その葉に水滴をためこんでいられるのよ。頭がいい木でしょう。》
このレイン・ツリーは、乾いた時期にはその葉からしずくを垂らせて、小動物たちに恵みを与えるまでする、という美しい表象だ。
この木はアメリカ大陸にしかない木と書かれてあったかのように思い、実際にこの木と大江さんを対面させたいその光景を撮影したいと、私は考えた。1989年、「世界はヒロシマを覚えているか」という番組を制作するため、私は大江さんとアメリカに渡る機会に恵まれた。 そして西海岸から東海岸まで撮影してあるいた。
旅も終わりに近づいた頃、レイン・ツリーに会いに行きませんかと声をかけると、大江さんはすぐに応じてくれた。
ニューヨーク、ブルックリン植物園は世界的にも有名な施設だ。たいていの植物はある施設なので、ここにあるだろうと当て込んで行ったが外れた。
2,3日後、番組のコーディネターが耳寄りの情報をもってきた。セントラルパークの東門近くに××レイン・ツリーという木があるというのだ。××の固有名詞は失念してしまった。
その日は秋晴れだった。“ニューヨークの秋”という言葉があるぐらい、その時期のニューヨークは素敵だ。ゴムびきのパーカを着た大江さんは不思議そうに懐かしそうに、そのレイン・ツリーの木を仰いだ。落ちてきた葉っぱをとって耳にかぐといい匂いがした。
この木の下で、私は日本人にとってのヒロシマの意味を大江さんから聞いた。
この世界の善きものへの暗喩(メタファー)として、「雨の木」はあると大江さんはかたり始めた。
《核時代の核状況の暗喩を死の荒野とするなら、それに対抗する生命の暗喩を一本の緑の木として茂らせたい。(中略)「雨の木」は「生命の木」である。重藤博士や被爆者たちの努力こそ、核の荒野に「生命の木」を育てる作業ではなかったろうか?》
雨の木からヒロシマの生命の木を紡ぎだす、作家のいや大江さんのイメージの豊かさに私はすごく感動したことを、今思い出す。
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