世間を茶にする男、青島幸男
ジャズマンにしては超がつくほど真面目だった植木等さん。「スーダラ節」の歌詞を
示されたとき、こんな不謹慎なことを歌っていいのだろうかと悩んだ。この時の植木さんの心境はぜひ、11月1日の放送を見て欲しい。軽妙洒脱な植木さんのトークが内容もさりながら絶品なのだ。ほとんど古典落語の世界だ。
一方、この歌詞を作った頃の青島幸男さんは当時20代、新進の放送作家だった。青島さんは植木さんとまったく違う考えでこれを書いた。根は真面目だが、ひとたび「ノル」ととてつもなく面白いことをやってのける植木さんに、青島さんはある可能性を見出していた。この得がたいキャラクターを活かして、世間を“茶”にしてやろうと野心を燃やしたのだ。
名プロデューサー渡辺晋は、植木さんにレコードの話が起きたとき、すぐに曲は萩原哲晶、詞は青島幸男と指名した。芸大を卒業して音楽を本格的に勉強してきた萩原は、かつて植木さんが所属したジャズバンドのリーダーで、かねてからフルバンドのチンドン屋をやってみたいと考えていた。この話しが来たとき、彼はさっそく植木さんの口癖「スイスイ」をワンフレーズにして青島さんに示した。(この萩原さんもすごい才人だ)
そのフレーズに合う様に青島さんは詞を書き継いだ。〈ちょいと一杯のつもりで呑んで
いつの間にやら梯子酒。気がつきゃホームのベンチでごろ寝。これじゃ、体にいいわけないよ。分っちゃいるけど、やめられない〉
モーレツな滅私奉公のサラリーマン全盛の頃の詞ですよ。今読んでも「凄い」詞だ。歌は大ヒットした。
歌の大ヒットを契機に植木さんは映画に進出。そこで「無責任男」を演じることになる。これも大衆の絶大な支持を得る。青島さんはこの無責任というキャラクターをもっと展開して、世間を茶にしてやろうと考えた。「こうなりゃ、世の中を茶にしてやる。世間が直視しないことをしっかり見つめて、今までになかった表現をやってみたい」弱冠青島幸男は野望をさらに膨らます。
茶にしてやるという精神は、その後の青島さん自身が画面に登場していじわる婆さんを演じたり、映画を作ったり、国会議員になったり、挙句都知事にまでなってしまうことに通底していくのだ。
青島さんの生き方は、江戸時代の戯作作家らがお上の不当ぶりを茶にして笑い飛ばしたことに似ている。執筆を禁止され手鎖をはめられようと、懲りずにまた滑稽本、洒落本、黄表紙を書くあの人たちだ。
もう一度、青島さんに帰ってきて欲しい。そして再び世間を茶にしてもらいたい。何となく「勝ち組」が偉そうな顔をしているこの世の中を。
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