須賀敦子さんの思い出

今日のブログで「おもかげ」ということを書こうと、須賀敦子さんの本の一部を引いた。
久しぶりに、書架の須賀コーナーに手を伸ばした。パラパラとページを繰っているうちに
あの日のことを思い出した。
テレビに出演していただいたときのことだ。
1996年10月28日放送、「にんげんマップ」という番組だった。この番組はいろいろな仕事、活動をしている、どちらかといえば「無名」の人を紹介する番組だ。
私は番組のプロデューサーとして、その番組コンセプトからやや外れるが、ぜひ一度須賀さんを招いて、話を伺いたいとかねてより考えていた。まだ当時須賀さんはそれほど有名ではなかった。
自慢ではないが、私はこの人の文章にいち早く注目していた。彼女が繰り広げる世界は慎ましくて何とハイカラで映像的なのだろうと、感じ入っていた。
運がいいことに私のチームの中に、須賀さんに関心を持つ女性ディレクターが一人いた。二人で相談した。二人とも、なんとかこの企画を実現したいと意見が一致した。
キャスターのねじめ正一さんとも話した。須賀さんをお呼びしたいのですがと、私が言ったらすぐに、「賛成です。私も話が聞きたい」とねじめさんは答えた。
今、考えてみるとまったく幸運としか言えないのだが、須賀さんは出演することに応じてくれた。あれほどシャイな方が、まさかテレビにと出ていただけるとは。かつて、須賀さんは国際局でイタリア語放送の担当をしていただけに、番組に出ることの気恥ずかしさはよく知っていたが、それでも出てくれたのだ。おそらく、須賀さんの出演したテレビ番組はこの一本だけであろう。後にも先にもないはずだ。
須賀さんの作品や人となりについて語るには今夜は紙幅(?)がない。今夜はひとつだけ、テレビ出演のエピソードを記しておく。
恥ずかしがりやの須賀さんは、スタジオ出場にあたりひとつだけ条件を出した。対談セットに、自分専用の小机を用意してほしいというのだ。どういう意味か分からないが、当日102スタジオに、小さな机を用意した。
定刻どおり、須賀さんは現れた。チャコールグレーの仕立てのよさそうなスーツをまとっていた。さすがイタリアで20年暮らしただけあってお洒落だなあと見とれた。
早速須賀さんは私に恥ずかしそうに言った。「あの小さな机を私の足の前に置いてください。私のこの足が隠れるように」
冗談じゃない。60を越えたといってもスリムできりっとしたスタイルの須賀さんの足を隠すなんて。だって、どこまでも歩いてこられたその足の前にむさ苦しい小道具を置くなんて。「きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。」と須賀さんは『ユルスナールの靴』で書いているじゃないですか。
そのようなことを私は須賀さんに言ったはずだ。
ところが、ニコニコ笑いながら、須賀さんは絶対にそのリクエストを撤回しなかった。とうとうこちらも根負けして、そうすることにした。そのやりとりを須賀さんとしていたとき、かすかに匂った柑橘系のオードトワレを今も忘れることができない。
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