
早春の信濃路
昨日から松本に来ていた。春から始めたオリンピアンの取材のひとつとしてだ。
今から80年も前の、ロサンゼルスオリンピックに出場した選手の遺族を追ったのだ。その人物は水泳1500㍍のTさんだが、むろん本人は現存しない。太平洋戦争末期の南方の作戦で戦死したということになっている。その遺児が松本に住んでいると聞いて私は足を運んだ。
春3月に信州を訪れるのは20年ぶりではないだろうか。大月から列車が谷を登って行くにつれ久しぶりに心が轟いた。山々の峰に純白の雪渓が輝くのを見たからだ。まさに「白きたおやかな峰」だった。何か遠い昔にした忘れ物を取り戻しに行くような錯覚をもった。
お目当てのTYさんとは長時間にわたり話を聞いた。昭和16年生まれのその人は3歳のときに父が出征したのだからむろん記憶などない。だが母から聞いた父の肖像をその人はいきいきと語ってくれた。むしろ、父が戦死したあと、女手ひとつで二人の男子を育てた母親のポルトレに時間が多く割かれたと言っていいかもしれない。詳しくはまた別稿で語ることにしよう。
今朝、信濃毎日新聞の縮刷版を読もうと思って、縣の森の図書館へ行った。そこは旧制松本高校の校舎をそのまま保存した施設で、建物の一部は旧制高校の資料館展示館となっていた。あいにく図書館は休館だったので、その資料を見学して帰ることにした。それぐらいの気持ちであったが展示された種々の展示を見るうちに、何か青春の迸るようなものを感じて呆然とした。
あの北杜夫が松本高校に在籍していた、そのことは知っていたが、彼の在校時代に書いた寄せ書きなどを読むにつれ青春のほとばしりをじわじわと感じ入ったわけだ。
陳列のなかに、旧制高校のナンバースクールの校歌、寮歌を聴かせるコーナーがあった。思わず、私の出た学校の前身四校の「北の都に秋たけて」のボタンを押して、その曲に聞き入ってしまった。気がつくと誰もいない展示室でひとり聞きふける七十の男というのもおぞましいが、そうは言っていられないほどせっぱつまったものを、そのとき持った。
展示の終盤で、旧制高校を卒業した有名人というコーナーがあって、そこに井上靖の詩「流星」が掲げられていた。四高の先輩である井上が、その昔内灘砂丘に身を横たえて見た流星を叙述した作品で知ってはいたが、この場面でそれを目撃すると思いはひとしおとなった。
ほほを紅潮させて松本高校の門を出ると、正面に残雪の美しい常念岳が見えた。まさに、北杜夫が描く「白きたおやかな峰」。今口を開くと、この夢のような時間が消え入りそうで、私は黙したまま松本の駅までひたすら歩いた。
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