KAG
今日はよく晴れた。屋上に上がって相模湾を臨む。真青なる海が広がる。
遠く三浦半島もくっきりと見える。
無季の句を思い出す。
しんしんと肺青きまでの海の旅
数日来の雨で大気もいくぶん「あまさ」を含んでいて清清しい気分だ。
部屋に入るとまだ正午だというのに、光が弱まり机上に木漏れ日が揺れる。この揺れる光を
日本語は古来Kagといってきた。ここから言葉が派生する。かがみ、かげろう、かげ、かぐや、かぎろい。
おもかげなどという言葉もこの一つか。かげろふとは、影ろふで光がほのめくとある。
古文に「ただいまの御姿幻にかげろへば――」と美しい表現がある。
藤沢周平のブームと並んで長い間、須賀敦子もロングセラーだ。彼女も先年亡くなり、以来ますます盛名をうたわれる。彼女の遺作「遠い朝の読書」は私のお気に入りの一冊だ。
そこに、須賀は亡くなった弟を偲んだ文章を書いていた、と記憶するのだが、読み返してもその箇所が見当たらない。5歳年下の弟は、この文章を書く数年前早世したようだ。その面影を幼年期に、須賀は求めていたのだ。
彼女は幼年時代麻布あたりに住んでいた。現在のそのあたりを通りかけると、幼かった弟が草原から飛び出してきて「びっくりした?」と姉の須賀に尋ねるという場面だ。美しい表現で心にとどまっている。
たしか、この本「遠い朝の読書」に収載されていると覚えているのだが、見当たらない。そのことがこの文章を書きながら引っかかっているがそれはひとまず措いて、私は「面影」というと、すぐにこのエピソードを思い出すのだ。
秋の日は早い。2時を過ぎるともう日が翳った。書く気持ちもやや翳る。
久保田万太郎を思う。その人の晩年もまた淋しいものであった。次に掲げる句の季節は
ちょうど今頃だろう。
死んでゆくものうらやまし冬ごもり
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