嵐に抗して
長く、パウルさんは韓国民主化運動の地下文書を保有していたが、数年前に
ソウルに民主化記念館が設立されたとき、運動の資料とともに大半の文書を記念館に寄贈した。
手元には何もありませんかと、訊ねると、ドイツ語のメモが少しありますとパウルさんは答えた。
「それは誰も読めないから。私だって読めませんから。」
耳を疑った。パウルさん自身が書いたメモを読めないとはどういうことか。
「当時、私は4日ほど記憶するためのメモを書いた。記号とか崩し字とか読みにくい字を使って。もし、捕まっても何が書いてあるか分らなくするためです。」
私は身内に熱いものを感じながらパウルさんの語る口を、みつめた。
「4日間だけのメモだから、今となっては私自身も判読できなくなっているのです。」
――感動した。目の前の、和食を美味しそうに食べているこの老人が、25年前韓国民主化のために文字通り身を挺して戦っていたのだ。私は大きな声で、渋谷の雑踏に向かって叫びたい気分だった。
〈この人を見よ。これほど大切な仕事を果たしてきた人を。
しかも、そのことを誇らず黙って歴史の中に消えていこうと決意までしている、この人〉
別れるとき、握ったパウルさんの手は大きく力強かった。
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