謙虚なパウルさん
ボンフェッハーという、ナチスと戦って殺された宗教家がいる。彼のことを言及しながら、私はパウルさんの勇気を称えた。すると、パウルさんは「とんでもない、私はずっと小さいです」と恐縮した。本当に謙虚な人だ。
これまでに恐怖を感じた体験はありましたか、と私は聞いた。
「今も忘れることができないことがあります」パウルさんは静かに語り始めた。
25年ほど前、韓国の教会は民主化闘争の先頭にあった。
戒厳令政府によって数人の聖職者が逮捕され、とある教会の中に閉じ込められた。それを解放させようと、建物の周りで家族や教会関係者がデモを行った。先頭にパウル夫妻が立った。警備の兵士はショットガンを肩から外し腰だめに構えた。若いパウル夫人が前列に押し出されるのを見て、チマチョゴリを着た一人の老女(閉じ込められた老牧師の妻だった)がかばった。すぐに数人の老女らがパウル夫人を囲んで守った。
その様子を見たパウルさんはさらに奮い立った。兵士の銃と正面から対峙した。筒先が横腹にグイグイくい込む。この若い兵士が動転して引き金をひけば、たちまち銃は火を噴く。
「私の体は木っ端微塵になる」パウルさんはそう考えると、総毛がたった。必死で恐怖と戦った。「あのとき、私は本当に怖かったですね」とつぶやくようにパウルさんは語った。
恐怖の時間、パウルさんは兵士が分らないドイツ語でずっと叫んでいた。「なぜ、こんなことになるのでしょう」
つい2,30年前、隣国でかくも英雄的な戦いがあった。それを草の根で支援した人たちがいた。何も語らずこの世を去った大勢の人々・・・。少しでもその隠された事実を、パウルさんや池明観さんたちの証言から掘り起こしたい。私は、パウルさんの話をうかがいながら思った。
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