パウル・Sさん
ドイツ、ハイデルベルグから来たパウルさん(73)と今夜会食した。渡された名刺には
Pfarrer(牧師)とある。
今から30年前、韓国が軍事政権だった頃、韓国民主化のために働く人たちを
文字通り体を張って支援した人物の一人がパウルさんである。
当時、日本と韓国を何度も行き来した。TK生として「韓国からの通信」を書く池明観さんのために、現地の情報を収集して、池先生のもとへ届けた。決死的な努力であった。
こんなエピソードがある。戒厳令でいっさいの韓国内の情報が遮断されたことがあった。不穏な空気が流れるが、分からないままパウルさんの妻キヨコさんはソウルのホテルにいた。ふと窓の下を見ると、戦車が続々と通過する。どうやら、韓国内で何かが起きたらしい。北からの侵入かそれとも災害か、暴動か。
キヨコさんは東京にいるパウルさんに電話をかけ、南ドイツの方言を使ってその情報を伝えた。盗聴を防ぐために連絡は誰もわからないハイデルベルグのなまりで行ったのだ。
その情報は池先生に伝えられたところ、先生は即座に、それは北からの侵略などでなく
韓国の南部で事件は起きていると喝破した。この話がすぐにソウルにいたドイツ人カメラマンに伝えられ、彼がまず「光州事件」の第1報を世界に発信することになるのだ。TK生のネットワークは名も知れないたくさんの草の根の人々によって構築されていたのだ。
今夜の会食は2時間だったが、他にも実にたくさんの知られざる民主化の努力について話してくれた。温和な人のいい顔をしたパウルさんの、どこにそんな闘志があるのかと疑りたくなる。手馴れた様子で箸を使って和食を食べながら、淡々と話してくれた。
この続きは、また明日に記そう。
今夜は、素敵な人物に会って、気分が高揚している。文章がまとまらない。
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