マイ・フェバリット・ソンク「心さわぐ青春の歌」

「私胃癌で手術したのよ。一昨日退院したばっかり」と突然電話口で言われた。
金沢の友人に久しぶりに連絡をとったところ返ってきた返事の開口一番がこの言葉だった。あわてた。
学生時代はいつも柔和で可愛かった彼女の女子大生姿が、目の前に浮かんで消えた。考えてみれば、57歳ともなればどんな病気にかかっても不思議ではない年齢だ。
が、学生時代、熱い議論を交わしたその面影しか思い浮かばない。
その人は学部の2年の頃、「うたごえ」のようなサークルに入っていた。それで政治的なことをめぐって意見がよく対立した。社会に出てからのほうが仲良くなった。30年以上
淡い交流が続いた。ここ2,3年連絡を取り合わなかった。私は定年の挨拶状を出しただけだった。何となくムシが知らせるので今晩電話をしたら、先のような返事だったわけだ。
その人から教えてもらったと思う歌がある。「心さわぐ青春の歌」
たしか、ロシア革命のとき、若者二人が極東に出向いて、革命のために奮闘するソ連映画の主題歌だったはずだ。ロシアと金沢、雪と氷、イメージが重なっていく気がした。
心さわぐ青春の歌
1、僕らにゃ一つの 仕事があるだけ
自由の国拓く 仕事が一つ
■雪や風 星の飛ぶ夜も (…ref…)
■心いつも 彼方を目指す
2、君と僕二人 励まし合いながら
結んだ友情 いつまでも続く
■雪や風 星の飛ぶ夜も (…ref…)
4、時には君も 恋をするだろう
恋人も一緒に 君は進むだろう
■雪や風 星の飛ぶ夜も (…ref…)
電話で、私が「連絡もしないまま、勝手に死ぬなよ」とその人に憎まれ口をきいたら、「大丈夫。まさかのときは何が何でも呼びつけるからさ」と笑っていた。
帰りの湘南ライナーの暗い窓を見ながら「心さわぐ青春の歌」の時代を思い出した。
内灘へよく行った。荒涼とした砂丘が広がり鈍色の日本海があった。この海の向こうにウラジオやナホトカがあってシベリア鉄道に乗れば、霧のカレリアに行けるのだと夢見ていた。
当時、五木寛之が「さらば、モスクワ愚連隊」で衝撃的なデビューをしたばかりだった。
彼がよく構想を練るために使ったという喫茶店「ローレンス」へ、私も溜まってたむろしたものだ。この後、どんな時代が私を待っているのだろうかと、期待に胸を膨らませていた頃だ。
友人は、初期だから心配しないでと言っていたが、胃を3分の2も摘出したと聞くと楽観できない。なんとか、この冬を乗り越えて新しい春を迎えてほしい。
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