ある秋の会
先週の木曜日、加賀美幸子さん、太田治子さんと会食した。出来上がった「ペルソナα」の前祝を兼ねて。私ともうひとり、番組のPD(ディレクター)が参加して、4人の小宴を催した。
太田さんはよく知られているように太宰治の遺児で作家。取材に執筆に多忙な日を送っている。今年はとくに忙しいという。そういえば、最近あちこちの雑誌でお名前を見つける。太田さんとそのPDと私とで、オランダへレンブラントの旅に出かけたことのある仲だ。
その太田さんと加賀美さんは年来の友だちどうし。久しぶりに一同で会おうじゃないかということで、中秋を愛でる会にもなったのだ。
楽しい会だった。心に残る話もでた。そのひとつ。
加賀美さんもPDも同じ名前、幸子。この名前が気に入っている、とその理由を加賀美さんが話してくれたのだ。
加賀美さんは座右にいつも白川静の「漢字字典」を置いていてよく引くそうだ。あるとき、幸の成り立ちを知って感動したという。
幸は元来拷問の道具の一つを指す言葉であった。足かせ、首かせ、胴かせ、その他いろいろあるなかで、一番緩い枷が手かせで、それを幸といったのだ。つまり、罪の中でも一番軽微で、だから罰もいちばん軽いのが手かせ。幸せとは全面的に善きものということではなく、苦難の中でもよりましな苦難に与えた意味から発生していたのだ。このことを知って加賀美さんはなぜかとても嬉しかったと、微笑した。
穏やかな人柄には似合わないエピソードにいささか驚いた。でも、よく考えると十分ありうることだ。加賀美さんの朗読に対する厳密さは他に類がない。与えられたテキストが(傍目から見て)多少お粗末でも、けっして訂正を求めず、そのテキストを最高のカタチで読み上げてくれるのだ。それは高度な技術が必要とされる。自分にとても厳しい人なのだ。
――そして、他人(ヒト)には優しい。
こういう本物の人と仕事ができることの喜びを、しみじみ感じ入った。
ある歌のメロディがよみがえった。「赤色エレジー」の一節。
♪幸子の幸は どこにある
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